連載「芸術創造環境はいま-小劇場の現場から」第6回

||| 文化施設に赤字という考え方はない

-お金のことと言えば、ここの観客の多くが感じていると思うのですが、アサヒ・アートスクエアはかなり変わったことをやっているのに、なぜこれが経済的に成り立っているのか、なぜこうした活動が保障されるのでしょう。先ほどのお話で、貸し館事業と自主事業があるとのことで、足りない部分は会社から補てんされるのでしょうが、普通なら、赤字で立ち行かなくなってしまうと思うのですが。

加藤 会社のメリットは何かということです。こうやって金を出し続けても、アサヒビールにとっては、ここから何かお金を得られるというわけではまったくないし、ビールの売上が伸びるわけではない。まあ、ここで年間1000本か2000本ぐらいは売れているかもしれないけれど、そんなことなら、他に効果的な方法がいくらでもある。何でそんな無駄なことをやっているか、つまり、何を目的にしているかということですね。
 企業は社会に役立たないと存続する意味がない、ということですよ。やっぱり世の中の人はよく見ているので、金儲けばっかりやっているような企業には、誰もシンパシーを感じないじゃないですか。不正を働かないのは最低限当然だけど、やっぱり、地域のさまざまな社会的課題に目を向けているとか、1つでも世の中に役立つことをやっているとかが注目されている。そのことが企業の存続にとって不可欠な事柄で、それを我々としてはていねいにやっていきたい。そして、アサヒビールの文化支援が、他の企業の文化支援と多少違っているところがあるとすれば、それは他と同じことをやりたくないということ。すでにきちんと確立されたシステムの中で動いているものを、我々が応援してみても何も始まらないと。そんなことはどこか別のところでもやれるわけです。もしかしたら、劇場法ができれば我々はもう演劇に対してはほとんど手を出さなくなるかもしれない。もちろん、そこからはみ出した人たちが必ず出てくるから、そこはフォローするかもしれないけれども。我々としては、新たな仕組みをつくるアクションに大いに役立ちたいし、それが非常に大事だと思っています。

-ちなみに、アサヒ・アートスクエアは毎年赤字が出るんでしょうか?

加藤 赤字とか黒字とかいう考え方というのは、私は文化施設についてはないと思っています。要はここにどれだけ投資できるのか、ということ。コストをいくら我々としてかけられるか。年間でハードの運営を別にしてソフトでいえば、せいぜい3000万円とか、おそらくそれくらいでしょう。
 そりゃあ1億円かければ、もっといろいろなことができるだろうと思いますが、予算に限りがあるので、今のところの予算で社会的に意味のあることを実現できれば、もしかして将来大化けする人が1年に1組でも出てきてくれればいい。3000万円の投資で世界的なアーティストが生まれるなら、それは大変な喜びというべきじゃないですか。

-アサヒ芸術文化財団の予算というのは、いくらくらいなのですか。

加藤 たいしたことはないですよ、ただうちは、財団で運営する美術館をひとつ持っています。それと合わせて年間予算が2億3000万円くらいですね。

-そのうちいわゆるパフォーミングアーツ系の投資というか予算は。

加藤 財団自体では、パフォーミングアーツだと、たぶん3000万円くらいじゃないでしょうか。パフォーマンスに関しては、直接助成しているのと、ここでやっている自主事業ですね。

-セゾン文化財団はどうですか。

加藤 あそこは森下スタジオという施設も運営しておられるし、人件費まで含めるとけっこうな額になるんじゃないでしょうか、まあ外に出ていくお金は少ないとしても、パフォーミングアーツに特化していますからね。それはやっぱりすごい。うちは何でもやりますから分散しますね。

||| 地域が求めているのはインパクト

加藤 特に最近強く思うのは、芸術文化の振興と地域の振興は結びつかなければならない、ということ。どうやって地域を元気にしていくか。公共的にやれることは、放っておいてもいい。我々がもっとやりたいのは、過疎地とか離島とか、本当に地域間格差の中で恵まれない地域。そこでこそ、文化活動をやりたいわけです。芸術文化と地域の振興が結び付く仕組み作りをしたい。東京にあるアートスクエアでも、なるべく地域密着型でやっていきたい。だから、地域の人がもっとも喜ぶやり方は何なんだろうと考えています。

-先鋭的なものと地域に喜ばれるものというのは、普通に考えると違うように思えるのですが。

加藤 全国の地域プロジェクトを応援する仕事をしていて、時々聞こえてくるのは「ここには文化もなければ何もない」「ないないづくしだ」みたいなこと。それがそもそも違うのだだと思っています。私は、全国津々浦々資源の宝庫だと思っている。でも、誰も理解してくれる人がいない、だから、わかりやすいものをやらなければならないといけない、と皆言うんですよ。
 でも、一般にわかりやすいと言われてるものは、本当につまらないことも多い。どんなに田舎にもっていこうが、誰も面白がってくれませんよ。何なのこれ…でおしまい。今まで接したことがない人にこそ、大事なのは強烈なインパクト。おおっ! と言わせる、何かよくわからないけれどすごいことやってる! と感じていただくのが重要。ともかくすごいことをやれ、というのが我々のたったひとつの要求です。
 日常の些事を淡々と語って何も起こらないような芝居を、私は一般の人は面白がるとは思えない。芝居の中で、相当とんでもないことが起こって、そんなことは我々の日常ではありえない、そういうことをやってみせない限りはダメ。芝居のみならず、作品にはインパクトこそが必要。それこそ、テレビやマンガで恐るべき過激な出来事を毎日見ている子供たちには、可愛いらしい、子供向きなんてものを見せたところでバカにされるだけ。まあ、子どもたちは大人の顔色をうかがうのがうまいから、面白かったよ、くらいは言うだろうけれど、次の瞬間は忘れている。そんなことで芝居嫌いを作り出してはいけない。だからむしろ、最先端の過激な芝居を、子供には見せなければいけないと思っている。これはテレビやなんかとは違う、生身の人間がこんなことをしてくれてすごい! というものを。
 ベルリンで芝居を見た時に、子供向けというのがあった。小学生や中学生くらいの年齢層を想定して、けっこう過激なことをやっている。ドイツはなぜだか、男がすぐ裸になって、女子中学生がキャア見たくないと言いながら見ている。でも、そんな場面だけではなくて、全体には芝居の構成がうまく作ってある。それが面白いんです。大人が見て面白くないものを子供が見て面白いわけがない。何かそういうところでちょっと、世の中の人に誤解がある。
(続く >>

「連載「芸術創造環境はいま-小劇場の現場から」第6回」への2件のフィードバック

  1. ピンバック: J. Nishimoto
  2. ピンバック: 水馬赤いな

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