連載「芸術創造環境はいま-小劇場の現場から」第6回

 加藤種男さん(アサヒ・アートスクエア、アサヒビール芸術文化財団事務局長)
◎文化発信の創造的実験場として

 地下鉄浅草駅から地上に出ると、隅田川の橋向こうに金色の炎のオブジェをのせたビルが見えます。その「スーパードライホール」の4階にあるのがアサヒ・アートスクエア。新しいモノを創り出そうとするアーティストの育成や地域パフォーマンス活動の拠点として知られています。ビールやソフトドリンクを飲みながら、音楽やダンス、演劇、美術、映像など先端的、実験的なアートを楽しめるという、企業文化施設としてはユニークな活動を続けてきました。その基本的な方向を定めているのが、アサヒビール芸術文化財団です。事務局長を務める加藤種男さんに、芸術支援活動を支える理念や運営の実際を尋ねました。(編集部)

 

||| 20年間文化一筋だが専門家ではない

-このところ、芸術の創造環境を変えようという動きが表にあらわれ、劇場法(仮称)を作る流れになっています。そういうインフラ作りが始まっている中で、劇場にかかわっている方々が現場で考えていることをお聞きしたいというのが、このインタビューの狙いです。今日は、ひとつはアサヒ・アートスクエアについて、アサヒビール芸術文化財団として、どういうお考えのもとに運営しているのか、具体的に人数とかお金のかけかたなどもお聞きしたい。もうひとつは、加藤さんも深くかかわられている、現在の劇場を含む創造環境のあり方について、どうお考えなのかをお尋ねしたいと思っています。まず、プロフィールからうかがわせてください。加藤さんは、アサヒビール芸術文化財団の事務局長でいらっしゃいますが、それ以外にはどういうお仕事をなさっているのでしょうか。

加藤種男さん加藤 横浜市の創造都市のアドバイザーです。そちらは、諮問があればいくという状況ですね。それから、8月に東京都歴史文化財団のアドバイザーにもなりました。カッコよすぎますが、エグゼクティブアドバイザーという肩書です。こちらは、東京芸術劇場、東京文化会館、舞台芸術系のホールを抱える一方、美術館もある。さしあたって全部はとても無理なので、当面は施設に属さない活動についてアドバイスしようということになっています。実態はまだよくわかりませんが、都がやっている文化発信プロジェクトをさらに強化するにはどうしたらよいかというのが当面の課題のです。

-アサヒビールの社内的には、どういう部署になられるんでしょう。失礼ですが、もう定年を迎えられたんでしょうか。

加藤 一応、社の文化推進の方も担当しているので、社会貢献推進部という部署にも半ば籍は置いていますが、社外のいろんな仕事をやってますし、フルタイムでかかわっているわけではないので、何というか顧問の老人みたいなものです(笑)。定年も過ぎて、すべて非常勤顧問。不思議なもので、その割にはいろいろとやりたい放題やらせてもらっています。

-アサヒビールに入られる前は、全然違うお仕事をされていたそうですね。

加藤 はじめは町工場での旋盤工です。やめた時点では、もう旋盤工ではなかったですが、いずれにしても現場の労働者。労働者なんて言葉はもう死語かもしれませんけど、工員ですね。営業もしたり、いろいろなことをしていました。小さな町工場で働いていて、職も全部で5つくらい変えたと思います。
 ある時、ふとしたきっかけでアサヒビールを紹介されました。当時、樋口廣太郎という社長がいて、いわば政策秘書に採用されたのです。調査をしたり、スピーチの資料を用意したり。非常に面白い仕事でしたけれども、主担当というのがなかったので、文化にかかわるセクションを作って、そこの担当になれと。
 その背景には、ちょうどアサヒビールが創業100周年を迎えて、社会に役立つ企業を目指そう、その一環として文化支援をする必要があると、社長が考えたことがあるのだと思います。もうひとつ、その頃、企業メセナ協議会が誕生、資生堂が企業文化部を作られたことも大きな要因なのでしょう。また経団連にも、社会貢献部あるいは社会貢献委員会が生まれた時代。相前後して、こういうことがいろいろとありました。私はもともと専門家ではありませんが、好きでしたからね。これで給料もらっていいのか?…という感じもありましたけど。

-それは何年ごろのお話ですか。

加藤 1990年の話です。それから20年文化一筋。世間でも社員の中でも誤解している人がいるようで、もともとやつは文化の専門家だから、と思われている節もありますが、実際は逆なんです。20年もやっていれば専門家になる。そりゃあ、アートマネジメントとかを4、5年勉強してきた学生さんの方が、ある面ではよほど詳しいでしょう。ですから、これまでインタビューなさった方々のように、たとえば演劇に対して特化して詳しかったり、現場を良く理解しているわけではないと思いますよ。ただ、私の場合はジャンルを問わない、考え方としてもなるべくジャンル分けを超えたいとは思っています。

||| 飲みながら楽しめる不思議な場所

-アサヒ・アートスクエアは何年にできたのでしょう。

加藤 本社ビルも一緒に、1989年にできました。アートスクエアは、当初、パーティ会場みたいに考えられていたようです。ミラーボールとか、いろいろと変な設備が最初からついていました。
 実は私は、文化の仕事を始めた時から、ここを創造的実験場にしてやろうと思っていた。当時の担当者が川の手ライブという名前を考えついて、リバーサイドのライブハウスにしてやろうとかね。ビールを飲みながら、パフォーマンスや音楽や舞台芸術などを楽しめる場にしたいと画策しましたが、なかなかうまくいきませんでした。
 なぜそんなことを考えたかというと、ルーツはセゾンのスタジオ200なんですよ。私がこの仕事を始めた頃、ちょうど最終期を迎えていて、結局なくなってしまうわけです。その遺志をなんとか受け継ぐことはできないだろうかと考えた。それで、スタジオ200では、非常にまじめにピューリタン的に、一生懸命いろいろな実験をされていた。そのことはとても貴重だと思う。ただ我々としては、何分にもビール屋ですから、もう少しくだけたやり方でやりたいと。それが長年の夢。フルに活用するところまでは、なかなかいきませんでしたが3、4年前から状況が変わってきて、お陰さまで、今はようやく、年間280日くらいは稼働できるようになってきました。
 これを運営していくのに、我々だけでは人手が足りないので、日常の運営はアートNPOリンクというNPOにやっていただいています。ただしコンセプトメイキングというか、大きな方向性を決めるための実行委員会をきちんと設けていて、アサヒ側の人間のほか、外部の専門家も何人かお呼びしている。その実行委員会で大きな方向性、方針を決めていく。個々のプログラムはその方針に従って、現場で作っていくという考え方でやっています。実験場ですから、どのようなことが起きても、なるべく幅広く許容できるようなスタイルをとっています。
 今、常勤スタッフはカフェの運営も含め3人ですか。あとテクニカルスタッフが、常時少なくとも2人はいると思います。経費もそれくらいしか、うちも用意できない。あとは、直接的な経費をいただく貸し館業をやっており、その収入で運営しています。
 この先どこに向かいたいかというと、今のやり方は今後も継続したいのですが、もう少し幅広く、参加者ではなく、参画者を増やしたい。つまり我々の重要な課題は、観客の増加ではなくて-それは少ないよりも多い方がありがたいですけれども-どうしたら、ボランティアで、運営スタッフなり、企画立案にまで参画していただける人を確保できるかということです。対価の払い方については、いろいろなパターンが考えられるので、現実的に対応していけばいいと思います。
 そこでは、私がいろいろなことのディレクションをする専門家じゃないということが、すごくよかったと思っています。つまり自分では、現場のことは何ひとつわからない。劇場のことでいえば、照明のことも音響のこともわからない。ただ大変だということはわかっている。どういうプログラムをどう展開していったらよいかとか、あるいはどこにどういう劇団やアーティストたちがいて、そういう人たちをどうやって集めたらよいかということは私の仕事ではない。私は枠組みだけ作るので、後は現場の皆さんでおやりになればいいと思っています。

-アサヒ・アートスクエアは、ちょっと一般的ではない企画というのも少なくないですよね。たとえば「マムシュカ東京」など、不思議なことをやっていらっしゃるので最初はびっくりしました。

加藤 実験場だという方向性だけきちんと理解していただければ、内容はどうでもよろしい。どうでもいいって言ったら怒られるけれど(笑)。もちろんなるべくよいものはやってほしいとは思いますが、口出しはしない、全部任せる。その任せ方も、専門のスタッフにだけに任せるのではなく、もっと幅広い方々のご意見を虚心にうかがう。作り手側にも、やりたいということがあれば、単に「したい」だけではだめで、それが世の中にとってどういうふうに意味があるのかということを、上手に説明していただく。それを皆が納得できるのであれば参画していただければいい。可能なかぎりコントロールしない運営方法が理想と思います。
 ただ、何かトラブルが起きたり事件が起こった時、最後は自分が腹を切ればいいと思っています。まあ、大きな事故さえなければ、粛々とやっていればいいのかなと思っています。
 私も、たまにのぞいてみますが、何でこんなことやってんの? というものがたくさんあったりする(笑)。そういう中に、たまに面白いものが出てくる。たとえばこの前、美術家の泉太郎くんがあのスペース全体に、こう言ったらまた怒られるけれども、ガラクタを展示して、それをすごろくみたいに回っていくインスタレーションパフォーマンスみたいなものをやったんですよ。正直なところ、何が面白いのか…と。ところがこの前、東京都現代美術館に行った時に、でっかい部屋に何かすごい作品があるなと。見ているうちに、このコンセプトは前に見たことがあるという感じがしてきてね。それでキャプションを読んでみたら泉太郎と書いてある。こいつは大化けしたなと思いました。
 ここには、どんなにお客さんが入っても200人とか300人でしょう。その数に一喜一憂しても仕方がない。それよりも、ここを踏み台にして、今後飛躍してくれる人が出てくることの期待値の方が高いです。

-やはりこちらに出られていた作曲家の野村誠さんの作品なども、面白いけれど、なかなか人にその面白さを説明するのは難しいと、以前は感じていました。でも最近では、ずいぶんいろいろなところに活躍の場を広げられていますね。

加藤 野村誠も、もちろんここだけで仕事をしているわけではないんですが、たぶん、この世界では、我々がもっとも早く発見して応援したでしょう。1998年だったか、うちのロビーで彼にコンサートをやってもらったのですが、それくらい早い時期から注目してきたアーティストです。それが今や、全国でひっぱりだこ。それは我々の誇りだし、そういう人がいっぱい世に出てくれれば、ここへの投資は本当に安いものだと言えるでしょう。
(続く >>


「連載「芸術創造環境はいま-小劇場の現場から」第6回」への2件のフィードバック

  1. ピンバック: J. Nishimoto
  2. ピンバック: 水馬赤いな

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