連載「芸術創造環境はいま-小劇場の現場から」第6回

||| 吾妻橋ダンスクロッシングが生まれたわけ

-ところで舞台芸術関係で、アートスクエアと切っても切れないものとしてよく話題になるのは、2004年から始まった「吾妻橋ダンスクロッシング」。あれはダンスの、ある種コンピレーションですね。それまで、ああいうものはほとんどなかったと思いますが、どういう経緯で始まったのでしょう。

加藤 あれはまあ、ちょっとした偶然の産物ではあったんです。もともと森美術館の「六本木クロッシング」展の中に入れこもうとしたのに、六本木ヒルズの回転ドア事件で、歌舞音曲はしばらく自粛ということで、突如、六本木での実施が難しくなったんです。他の会場を探している時に、ここはどうかということになった。で、「六本木ダンスクロッシング」のはずだったのが「吾妻橋ダンスクロッシング」ということになりました。

-それは、企画者の桜井圭介さんからのお話だったのですか。

加藤 そうです。そういうのは人間の信頼関係。この人は面白いことをやる人だから、何でもやってごらんになったらどうですか、という格好で場を提供してしまうんですね。経済的にはなかなか厳しいようですけど。

-そこは切実ですね。あれ自体にはお客さんは入っていますけれど、それこそお客さんの数ではないかもしれませんよね。

加藤 確かにあれは面白いから、お客さんも楽しめる。でもうちも予算に限りがあるから、なかなかお金は出せない。まあ、それは悩みの種で。でも、ああいうことをやっていただいて本当によかった。そこから何か新しいものが生まれてくるから、それを評価すればね。

-そういうことを含めて、アートスクエアがやっていることもなんですが、アサヒビールがなさっているメセナ活動も、幅広過ぎて把握しきれないところがありますね。

加藤 だいたい毎日いくつかのプログラムが同時進行です。自主事業と我々が助成をしているものも合わせると、毎日数か所で何かが行われているはず。年間でいうと、プログラムの数だけでもおそらく300ぐらいはきっとあるでしょう。そういう意味じゃ全貌はおろか、日々の動きですらよくわからないというのが実情。私もチラシを見て、アサヒビールとか芸術文化財団とか書いてあるから、これ何だっけ、こんなものあったっけ? と聞いて、いつも顰蹙をかっているんですよ(笑)。

-今日は、そうしたさまざまな活動についてお話をうかがうことができ、本当にありがとうございました。

(2010年9月16日、アサヒフードクリエイトアネックスで。 聞き手=大泉尚子、北嶋孝。協力=松岡智子)
(初出:マガジン・ワンダーランド第217号、2010年 11月24日発行。購読は登録ページから)

【略歴】
 加藤種男(かとう・たねお)
 アサヒビール芸術文化財団事務局長。アサヒ・アートフェスティバル、アサヒビール大山崎山荘美術館のプロデュースなど、1990年以来、同社の文化活動を推進。あわせて、企業メセナ協議会研究部会の部会長として、企業メセナをリードし、2009年社会創造のための政策提言「ニュー・コンパクト」を取りまとめる。また、「創造都市」の旗振り役として、自治体への文化政策提言を推進し、2004年から6年間横浜市芸術文化振興財団専務理事を兼務し、現在は横浜市創造都市アドバイザー。NPO活動の推進にも取り組み、アートNPOリンク理事をはじめ、日本NPOセンター評議員などをつとめる。その他、東京都歴史文化財団エグゼクティブ・アドバイザー、埼玉県芸術文化財団理事、文化経済学会理事など。2008年度芸術選奨文部科学大臣賞受賞。

【アサヒ・アートスクエアとは】
 アサヒビール本社ビルに 隣接するスーパードライホールの4階が多目的イベントホール「アサヒ・アートスクエア」。ビルはフランスの著名な建築デザイナー、フィリップ・スタルクの手になり1989年竣工。燃えさかる炎を形象した屋上の金色のオブジェが有名。アートスクエアは(1)未来文化の創造(2)市民とアートのつなぎ手として(3)地域文化への着目、地域への広がり-を掲げて活動しているユニークな企業文化施設。ダンスのコンピレーション・ショーとも言える「吾妻橋ダンスクロッシング」、パフォーマンス10分、入場無料、参加費無料をうたう「マムシュカ」などユニークなイベント拠点としても知られている。収容人員約200人。


「連載「芸術創造環境はいま-小劇場の現場から」第6回」への2件のフィードバック

  1. ピンバック: J. Nishimoto
  2. ピンバック: 水馬赤いな

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