初日レビュー第11回 チェルフィッチュ「ゾウガメのソニックライフ」

 チェルフィッチュはいつも期待されているようです。世界のフェスティバルから声がかかり、新劇場のオープニングに新作を委嘱されます。でもそのたびに、新しいスタイルを模索し、ニッポンの都会の、いまを、懸命に捕まえようとしているように見えます。今回は、オープンした神奈川芸術劇場の大スタジオでの公演。いつものように、五つ星の評価と400字コメントで迫ります。掲載は到着順(編集部)

 

▽水牛健太郎
 ★★★★
「ゾウガメのソニックライフ」公演チラシ  チェルフィッチュを見て初めて面白いと思った。いわゆる「チェルフィッチュ的な」身体の動きは最初目立ったが、話が流れ出すにつれて少なくなり、それがかえって「自由度が高くなった」と感じた。映像の使い方がこれまでの作品よりゆるめで、笑いが多かったのも嬉しかったし、佐々木幸子がかわいくてそれもよかった。
 表現されているものはとても頽廃しているというか、絶望的なところまで片脚を突っ込んでいるように思った。「満ち足りた生」を求める男なんて、ファシストもいいところである。ああ、歴史とはこうして繰り返すものか…。この作品はそんな夢も希望もないやばさが面白かった。逆に言えば、これまでチェルフィッチュの表現する「希望」の形が(特に社会的連帯への目配りなど)、どれほど偽物っぽく、いらいらさせられるものだったかということだ。
・ワンダーランド寄稿一覧:http://www.wonderlands.jp/archives/category/ma/mizuushi-kentaro/

▽今井克佳(大学教員、「ロンドン日和&帰国後の日々」)
 ★★★★
 例のデフォルメされた身振りで、ある役者が「僕」や「私」として語る間に、他の役者たちは舞台上で様々な関係のなさそうな動作をしている。体験者(「僕」や「私」)の役割を、どの役者が担うのか、は明示されないが、やがて観客の意識はある役者を体験者としてなんとなく特定することが出来るようにしむけられる。その他、ビデオカメラでスクリーンに映し出される役者の顔、不思議な形態のフレームで区切られた空間、と何種類もの「ずらし」がしかけられている。そこに現れてくるのは日常から曖昧に紛れ込んでしまう夢の世界、異界である。演劇の既存の約束事をずらしにずらしながらぎりぎりのところでまだ演劇として成立させている。あまりに先鋭的であり、従来のチェルフィッチュの表現を統合しさらに押し進めた感がある。それゆえに万人向けでは全くなく、睡眠不足の頭で見るのはかなり辛いものだが、ここまで突き抜けたことにある種の爽快感も憶える。
・ワンダーランド寄稿一覧:http://www.wonderlands.jp/archives/category/a/imai-katsuyoshi/

▽山田ちよ(演劇ライター)
 ★★★
 舞台の一角にビデオカメラをしつらえ、その前で行われる演技を同時にモニターなどで見せる、という手法はチェルフィッチュでよく使う手だ。大概は実験か遊びに見えて、テキストの内容とビデオの使用は無関係かと思ってきた。ところが今回、ラスト近くで、テキストとスクリーンに映されたビデオ映像がはっきりつながった。それは「この舞台で見せたり聴かせたりするものは全て、関連し合っている」というメッセージのようで、観客が理解しやすいようにしている、とも受け取られた。夢という題材により、チェルフィッチュに付き物の、話者などが交錯する構成がより濃厚になったが、現代を突くような鋭さには欠けた。出演者では山縣太一が目を引く。気ままで自信たっぷり、といったいつものあくの強いキャラクターが生かされる場面もあったが、それだけではない。岡田利規の目指す世界を自分のものとして表現し、そこに見る側を引き込む力が確かだと感じられた。
・ワンダーランド寄稿一覧:http://www.wonderlands.jp/archives/category/ya/yamada-chiyo/

▽大泉尚子(ワンダーランド)
 ★★★
 チェルフィッチュを見る時は身構える。「わたしたちは無傷な別人であるのか?」では、やられまいやられまいと気を張っていたにもかかわらず、そして、例によってダラダラ感満載だったにもかかわらず、終演時には、あーあ、まんまと感得させられちゃった…というのがあった。今回は、舞台の立派さに抗して、あの拡散のしかた、バラけ方が、ちょっとやそっとのことには動じない、逆説的な、ある種の強い張力を持っているのを見せられた想い。役者としてそれを担っているのは、何といっても山縣太一で、虚実という言葉さえ無化してしまいそうな大迫力の作り笑顔や、めちゃめちゃアクの強い身振りには圧倒される。その一方で、開けっ放しの口がキュート(!?)な佐々木幸子や、セリフの少ない武田力・松村翔子がやけに気にもなるのだ。シンプルでスケール感ある美術もカッコいい。といいつつ、「無傷な別人であるのか?」「ホットペッパー、クーラー、そしてお別れの挨拶」に比べると、今ひとつ押してくる何かを感じとれなかったのも否めず、それは、この作品が「日常」というフラットでとらえどころのないものを、縦横斜めから取り扱おうとしているせいなのだろうか…。
・ワンダーランド寄稿一覧:http://www.wonderlands.jp/archives/category/a/oizumi-naoko/

▽都留由子
 ★★★
 日常と非日常、夢と現実、男と女、誰がしゃべっている主体なのか、そういう区別が常にぐしゃぐしゃ・ぐずぐずにされていて全く明示されないのに、いつもなんとなく状況がわかり、ちゃんと(?)話が進んでいくのは、テキストの手柄でもあり、役者の力でもあるのだろう。親切にわかりやすくはしないけど、全然わからなくて途方に暮れるところまでは決して持っていかない演出も、憎らしいようだ。終幕の、ビデオ画面上の「画像」と舞台上の「もの」とが直接的に結びつくところが、目が覚めるばかりに圧倒的だった。装置と照明がとても美しい。
 だけど。わからないもの=面白くないものとは思わないし、わからなくてもつい引き込まれて面白かった!という作品があることは知っているけれど、ぐいっと引き込まれて夢中になってしまう強い引力を、わたしはこの作品では感じられなかった。見る人とそのコンディションを選ぶかもしれない。
・ワンダーランド寄稿一覧:http://www.wonderlands.jp/archives/category/ta/tsuru-yuko/

▽鈴木励滋(舞台表現批評)
 ★★★★
 初めてのKAAT、やっぱり立派な劇場で、舞台とオレンジ過ぎる客席はカッチリと分け隔てられていて、不安がよぎった。絢爛豪華にもせず過剰な抑揚もなくドラマチックでもないチェルフィッチュの世界と、“鑑賞”するような距離で向き合う労苦を思ったからだ。
 それは杞憂であったが、あの断絶を乗り越えるのはけっして容易いことではない。
 本作もこれまで同様、明確なメッセージが届きにくい、いや答えを与えるような形で届けようとはしていなかった。それなのに延々と捉えられ、心を穿たれたように観た後にはざわめくわたしがいた。
 もちろん俳優の技量もあり、神奈川にも伝説が残るあの有名なおとぎ話も助けになった。けれど、照明や音響などの、さりげないながらも確実な仕事によって作品が成立させられていたのではないか。巨大な走り高跳びのような構造物を、影を含めて部屋のように感じさせたり劇場と溶け合うようなオレンジの平面に見せたり、そこに今までの作品でも用いられたカメラとスクリーン、そして客電も合わさることで、舞台と客席が繋がるというより、気がつけは観る者は作品の中に居る。始まりから終わり、その先をも想わせる、女がゆっくりと指を滑らせる場面での無音な空間は、粘性を感じるほど濃密であった。
 こうして、作品は消費されて終わるのではなく、観客の日常へとひたひたと侵蝕していく。
 独善的なメッセージを与えるのではなく、問いつづける方向へと観る者を後押しするような働きかけのひとつの到達点だと思う。それは、無責任な丸投げではなくて、他者を信じていることの証し、そう、祈りにも似た後押しのように見えた。
・ワンダーランド寄稿一覧:http://www.wonderlands.jp/archives/category/sa/suzuki-reiji/

▽高橋 英之(ビジネスパーソン)
 ★★★★
 演劇ならではの味を語り合える作品だ。
 誰かと一緒に観に行けば、帰り道に、きっと、語ってしまう。 岡田利規は題名がうまいよね、とか。
 <いきいきとした人生>だの、<エキサイティングな東京>だのといった勝手なラベルを貼られて、バラバラの動きをする個体は、まさしく「ゾウガメ」だね、とか。
 言語化しがたいプレッシャーをやりすごすべく<進化>させた<日常>をあえて「ソニックライフ」と呼ぶ。それは、なかなかにセンスがいいね、とか。
 ただ、正直なところ、この作品をデートに使うのは冒険(なので★ひとつ減点)。発せられている言葉の正しさと矛盾する気持ち悪さが、目の前の役者の身ぶりからどうしょうもなく伝わってきてしまう。それは、演劇特有の副作用。岡田利規はこの副作用をとても自覚的に使ってくる。
 もちろん、この副作用をもあえて観劇後の中華街での遅いディナーで楽しんで語ってしまうデートができるなら、それは最高なのだけれど。
・ワンダーランド寄稿一覧:http://www.wonderlands.jp/archives/category/ta/takahashi-hideyuki/

▽北嶋孝(ワンダーランド)
 ★★★
 舞台を思い浮かべながら、タイトルをぼんやり考える。ゾウガメって長生きだよね。100年200年は珍しくないらしい。エサを与えなくても長期間生きてるから「天然の保存肉」として重宝されたんだって。そういえば、チェルフィッチュの旗揚げからずっと登場している山縣太一の姿が浮かんでくる。当初は「ニコニコお兄さん」風だったが、そのうち「ニヤニヤあんちゃん」になり、今度の舞台は「ギラギラおじさん」風。この寒空に短パン+ぼさぼさ髪。がに股で体を揺すりながら現れると、無宿の野人みたい。セリフでもそんなことを言ってたっけ。作・演出の岡田利規のイメージの中心に、山縣のふてぶてしい野人エネルギーがどっかり根を生やしているのではないだろうか。いまの、都会の、浮遊感覚のまっただ中にいる「ぼく」たちがイメージする細い抜け道…。でもゾウガメは人間にむさぼり食われて絶滅寸前になる…。
 でもでもさ。音の響きは発振して、迂回して、伝播して、届いてしまう。だからと言って、ソニックユースの音楽を思い浮かべてしまうのはどうかな、と思うけど。
・ワンダーランド寄稿一覧:http://www.wonderlands.jp/archives/category/ka/kitajima-takashi/

【上演記録】
チェルフィッチュ「ゾウガメのソニックライフ
神奈川芸術劇場(2011年2月2日-15日)

水戸芸術館ACM劇場(2011年2月26日 , 27日)
富士見市民文化会館キラリ☆ふじみ(2011年3月4日 , 5日)
山口情報芸術センター[YCAM](2011年3月13日)

作・演出 : 岡田利規
出演 : 山縣太一 松村翔子 足立智充 武田力 佐々木幸子
舞台美術 : トラフ建築設計事務所
照明 : 大平智己
音響:牛川紀政、大久保歩 (山口情報芸術センター[YCAM]のみ)
舞台監督 : 鈴木康郎、弘光哲也、尾崎聡 (山口情報芸術センター[YCAM]のみ)
企画 : precog
企画制作 : 神奈川芸術劇場、水戸芸術館ACM劇場、山口情報芸術センター[YCAM]
宣伝美術 : 菊地敦己 (bluemark)、小金沢健人
特設ウェブデザイン : 石黒宇宙 (gm projects)
特設ウェブ編集 : 中島良平

■アフタートークゲスト
2.7(月)16:00 進行:岩城京子(ジャーナリスト・KAATクリエイティブパートナー)
2.11(金・祝)18:00 坂口恭平(建築探検家)/進行:梅山景央(編集者)
上演時間:約90分(休憩なし)


「初日レビュー第11回 チェルフィッチュ「ゾウガメのソニックライフ」」への2件のフィードバック

  1. ピンバック: Katayama Mikio
  2. ピンバック: あじ

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