連載「芸術創造環境はいま-小劇場の現場から」 第8回

||| 劇団滞在型のプログラムも

-では、〈招くプログラム〉についてお聞きしたいのですが、今回は、公募で岡崎藝術座と鳥公園の2つの劇団を呼んで、12日間の滞在の後に公演するというプロセスを採用されましたね。こうした公募による長期滞在の創作プログラムは、日本ではかなり珍しいケースだと思いますが、どうしてこのようなプログラムを組まれたんでしょうか。

中島諒人さん中島 もともとは、うちの創作環境を、実績のあるなしに関わらず、演劇に対して志を持った舞台芸術のアーチストにどんどん使ってもらいたいという想いがあったんです。貸し館はしないんだけれど、しっかりした作品づくりの場として使ってもらえるのは、大歓迎なんですね。うちはチームとしては一つですが、場所はスタジオと劇場と二つあるので、常に一つ余るんです。なので、これはぜひ使ってもらいたい。
 ところで、フランスのナントという町で、廃工場をリノベーションしたリュー・ユニックっていうのがあって、そこにずいぶん人が来てるって言うんだけど、ナントの場合、人口規模がそれなりにあって、壁の外には人が歩いていたから、中をリノベーションして門さえ開ければ人は入ってくる。でもうちの場合は、田舎なので、基本的に外を人が歩いてないんですよ(笑)。若い人もあまりいない。そうすると、魅力的なコンテンツさえつくれば人が来るというシナリオは成立しないんですよね。しかし、何らかの形でアピールしていきたいという中で、まずは作り手にどんどん知ってもらい、使ってもらえたらいいなと。
 それで、一つは演劇祭のような場に、ある程度評価が固まった舞台芸術の人たちを呼びたい。もう一つは、もっと若い人たちにもぜひ使ってもらいたい。実際、僕なんかも東京でやってた感覚で言うと、稽古場で稽古して、劇場にはたとえば水曜日に入って金曜日に本番とかね。仕込みに2日とれればいい方で、なかなか3日はとれないですよね。それだと当然、かなり落ち着かない、集中できない。セットもほぼはじめて組んだ、音響もはじめてデカイ音で聞いた、照明もまったくゼロからやると。事実上、総合芸術とは言い難い状況ですよね。ぜひ、そこのところを、テクニカルも含めて集中してできるという環境で、仕事をしてもらえたらいいなと思ったんですよ。
 実は、昨年1回目をやって、その時は1週間だけの滞在。週明けに来て、土日に本番だったという感じだったんですよ。でも、正直言って、僕は舞台成果にかなり不満があった。何か、中途半端な舞台づくりになってるなと。観客からも、「いったいこれは何の意味なんだ?」というような問いが出て、つくり手への刺激になればいいかなと思ったんだけれども、お客さんの方も親切で、よくあるんですけど、わかんないのは私が悪いんだと思っちゃうパターンになって、観客との議論も活性化しなかった。うちとしては本意じゃないところがあった。
 それで今年は、12日間でしっかりつくってもらい、かつ、試演会もやり、うちの劇団のメンバーも試演会に参加して、互いに見合う、意見を言い合うっていう機会を持ちました。
 東京なんかで、ユースカルチャーとしての演劇、若い同世代の人ばかりが見るというのがありますね。もちろんそれにも、一つの役割があると思うんだけど、そういう状況じゃない場所で、本当に自分たちの作品がどういうふうに見られるのかというのを、しっかり考える機会にしてくれたらというのもあって、こういう企画にしたということですね。

-今回招かれた方たちは、民宿か何かに滞在してるんですか。

中島 民家ですね。うちで劇団として借りてるのと、まちづくり協議会が借りてるのと、2軒あって、劇団ごとに家1軒という形。

-稽古場使用料などはないんですか。交通費・滞在費などはどうされるんでしょう。

中島 条件については、滞在費・使用料はうちがもちます。フィーは交通費を含めて、各団体に40万円支払うってことにしてます。

-若い劇団にとっては、いい話ですね。今回は、応募した22団体の中から2団体が選ばれており、けっこう倍率も高い。12日間の滞在のあいだに試演会もやられて、お互いの作品を見て意見を言い合う機会をもったとも聞いています。そうしたコミュニケーションを重視したプログラムということでしょうか。

中島 そうですね。お客は、舞台美術であれ、音響であれ、作品を「読む」わけじゃないですか。そこのところで、世代・趣味を超えて、どれだけ開かれたものを提供できるか。そういう訓練が、当然、若い人たちは不足してるところがあるから、そこが深まればいいかなと思いますね。

-そこで「開かれる」ということは、もちろん、「一般にわかりやすくなるよう薄める」ということとは、全く違うわけですよね。

中島 もちろんそうですね。

-普段、東京で演劇を見ることが多いのですが、情報や感想は数多くありますけど、そうした意味での「開かれた」コミュニケーションは難しい環境なのかもしれないと思うことがあります。批評も含めてですが。奇妙な空気の読み合い、探り合いはあるかもしれませんが、息苦しい雰囲気もないではありません。東京の若い劇団が、長期間、そこから離れた立場で創作にあたるのは、そうした面からも大きな経験になりそうな気がします。

中島 完全なアウェイですからね。

-今、東京で若い演劇人と話をしていると、今後のビジョンとして、大きな商業演劇に向かうのとは別に、「海外」と「地方」という選択肢が見えていると思います。特に地方にという意識が増えていると思うんですね。それはネガティブに言えば「東京にうんざりした」ってことがあるにしても、ポジティブに言えば、もっと地に足をつけたいとか、何年か先まで食べて活動を続けていくために、っていう意識が出てきているのだと思います。
 そうした傾向に、今回、鳥の劇場が〈試みるプログラム〉を用意されたのは、何か、噛み合うものを感じますが、今後、このプログラムをどのように育てていこうとお考えですか。

中島 そこのところは、ちょっと考えることがあるんですよね…。実は、いつも舞台写真を撮ってくれるカメラマンが、東京の若い人の演劇はみんな同じなのかって言うんです。鳥の劇場が質に責任を持って面白いから見に来いって言うからお客は見に来るけど、東京の若手劇団っていうんで、毎回同じものを見せられたら、もうお客は来ねえぞって。そういう意味で考えなきゃいけないなってことも、思うんですよ。それは全体状況的な問題ですけど。
 でも、もう一方で、演劇を一生の仕事としてしたいと思う人が増えるっていうことは、いいことだなあと思うんですよね。単純に、テレビに出てタレントとして稼ぐってことしか人生の選択肢にないということだと、やっぱりつまらない。もちろん、それがしたい人は、それで全然いいと思うんですけれども。そうじゃなくて、舞台人としてやっていきたいと思う人たちが増えることは、すごくいいことで、そういう人たちへの支援が、ここで少しでもできるなら、有難いと思うんですよね。

||| 地域ごとに顔の見える劇場を

-では、劇場法(仮称)についても、少しうかがいたいと思います。皆さんにお聞きしてるんですけど、その方によってこだわれてるポイントが違います。例えば、芸術監督制の是非や、劇場を創造型や鑑賞型など3つに区分けし、創造拠点型の劇場でつくった作品を鑑賞型の劇場に回すといったフランス的なシステム等々が挙げられると思いますが、どうお考えですか。

中島 公共ホールについての劇場法は、それにどのような条件がつくのかということもありますが、芸術監督や専門の技術・制作スタッフがいるってことは、当然必要なことじゃないかと思いますね。正直言って、僕は、提案されている意見について、あんまり異論はないんですよ。公的なお金をとってやる以上は、いろいろな条件が付くのはしょうがないだろうなと。
 皆さんそれぞれの立場で、体験も踏まえながら賛否を述べられるのはいいと思うんですが、ともかく公的なお金を得るためには、ちゃんとした法律が必要で、そのことに向かって、まずは暫定的でもいいから踏み出して、やってみた上で、建設的に議論を進めるべきでしょう。日本的に、やる前から反対意見ばかりが出て、具体的な一歩が踏み出せないのは、今の民主党なんかの状況を見てるみたいで、よろしくないんじゃないかと思っています。

-劇場法が通ると、公共劇場ばかりに補助金などがいって、民間劇場が圧迫されるのではという考え方もありますが。

中島 それは、東京と田舎の民間劇場の違いというところが、多分にあると思うんですけど。東京だと、一般の人という顔が非常に見えづらいんですよね。どうしても演劇ファンという顔ばかりが見えてくるから、パブリックな活動というのが、なかなかしづらいという問題もあるでしょうね。
 「地域」ということの再定義をする必要がある。要するに、先にも言った通り、劇場というのはローカルなものだと僕は思っていて、半径何km圏内の人たちに対して、何らかの影響を与えようとしてるという企みの場と思うんですよね。だから、地域に対して何ができるのかっていうことの考え直しが、おそらく東京の劇場には必要になってるんじゃないかなあ。東京にあっても劇場はローカルなんです。新国立劇場を除いて。

-東京も、実はひとつの地域なんですが、何か地域感が希薄な傾向があるかもしれませんね。

中島 そうそう。ひとつの地域だということを、どうやってとらえ直すか。確実に地域ごとの問題はあるはずだから、その問題に対して、劇場文化を通じてどうかかわり得るんだと。それで、あくまでも劇場なんだから、舞台作品の芸術性・創造性を通じて、どうアクセスし得るんだっていうことを考える。それこそが一番大事なことなんじゃないかと思うんですよね。

-東京でローカリズムを見い出していくのは今のところ難しいと感じます。
 たとえば、こまばアゴラ劇場は周りに商店街があって、あそこで1度でも買い物や食事をすれば、俄然、身近になるでしょうし、下北沢あたりまで散歩でもすれば、見える景色はかなり変わると思いますが、電車で来て、劇を見てパッと帰るだけだと、その町のランドスケープ感覚はなかなか根付かないと思います。電車っていうのが罠な気はしますね。ちょっと歩く時間を増やすだけでも、だいぶ違うと思います。たとえば王子小劇場に行ったらできるだけ近くの店で飲んで帰ってお金を落とそう、とか思ってるんですけど(笑)。
 でも、ここ鳥の劇場の圧倒的な地域感には、なかなかかなわないですね。距離が遠いのは不便でもあるけれども、逆にそこに行かざるを得ない、いざるを得ないというのは強みかも。

中島 そうですね、来てもらっちゃえば…というのはありますね。

-劇場法が通って、各地域の劇場の存在感が今よりもっと膨らんできた場合に、他の劇場と連携していきたいというお考えはありますか。

中島 ええ。望ましいと思うのは、地域ごとに魅力のある、個性のあるユニークな劇場が出てきて、だからこそ人々はそこに足を運びたいと思うっていう形ですね。今は結局、北九州芸術劇場とか山口情報芸術センター(YCAM)とかも、たとえれば、世田谷パブリックシアターの支店化してるみたいなところがあるでしょう? そうじゃなくて、いくつかの場所で、それぞれの面白い作品がつくられ、それが巡回するというのがいい。
 で、この点は、日本の文化政策の中で、一つの大きなエポックだと思っているんですが、つまり、今まで日本は、大きくは東京に中心があって、それに対するアクセスの保証の一環として、各地に図書館もつくられ、美術館もつくられということだった。それに対して劇場法というのは、地方で、それぞれの場所でつくりなさいってことになるから、これは大きな転換。何らかの形で、具体化、成果を残さないといけないことだと思うんですよね。

-芸術監督制というのは、ある意味では、劇場の属人性が増すことにもなりますね。その芸術監督の、パーソナリティなり能力なり指向性なりの影響力が大きくなる。その点についてはどのようにお考えですか。

中島 そこは、難しいとこですよね。ただ、今、日本の公立文化施設がなかなか個性が表わせないのは、顔が出せないんですよね。SPACの宮城聰さんなんかは、それで意識して顔を出されてるんだと思うんですけど。
 先のレストランのたとえでも、人は、このシェフがいるっていうから行きたいっていうわけでしょ。その人が責任をもってやってるなら、文句もその人に言えばいいんだから、行こうっていうことになるんですよね。それが、芸術監督じゃなくて、プロデューサーでもかまわないんですけど、とにかく、顔が見える誰かがいるってことは重要なんじゃないかと思います。

-つまり責任を持てるってことですよね。

中島 そうそう。

-顔が見えることは魅力的でもありますね。昨秋の鳥の演劇祭で、SCOTの公演のアフタートークに、地元のお医者さんである徳永進先生(内科医、終末期医療の専門家)がいらして、鈴木忠志さんと、死ぬことについてなどの話をなさいましたが、劇場でこんな話がされるということ自体が驚きでした。そして、鈴木忠志さんと主催者である中島さんが、幼稚園の中庭でひなたぼっこをしながら座っていらして。こんな演劇祭もあるんだ、鳥取の鳥の劇場ならではだなと、たいへん印象深かったんです。
 そういうものを、観客は、劇場の色として受け止めると思うんですよね。そういう色を見に行きたい。いろんな色のところがあると楽しいですよね。

中島 まあ、極端なことを言えば、演劇の流行や様式のことなんか、一般の人にとっては、どうでもいいわけじゃないですか。そうじゃなくて、作品を通じて、社会や人間にとって大事な何かが語られて、それをきっかけにして、ふだん考えないことを考えるというのが、芸術体験の本質だと思っています。あのトークは、僕も非常によかったと思ってるんですよ。(続く>>


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  4. ピンバック: 藤原ちから/プルサーマル・フジコ

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