連載「芸術創造環境はいま-小劇場の現場から」第10回

||| 三鷹でしか見られない芝居を

-そこで、演劇企画を立て始められたということですね。

森元 まず最初に公立ホールの演劇事情を調べてみたら、当時は文学座や民芸といった老舗の劇団の旅公演を1日だけ買い取って上演するのが普通だったんですね。公立ホールで小劇場的なものを上演していたのは、パルテノン多摩の演劇フェスティバルくらいでした。〈大〉蜷川さんと最初からお組みになった、彩の国さいたま芸術劇場のオープンが三鷹の1年前。そして世田谷パブリックシアターのオープンがうちの1年半後。ですから当時、公立ホールの演劇公演に関する「買い公演以外の前例」がほとんど何もなかったんです。
 なので僕がこの仕事に、もしも地方都市で従事していたら「じゃあ、いい芝居を買ってきましょう」っていう発想になったかもしれないと思うんですけど、何せ三鷹でしたから。都心といえば都心だし、郊外といえば郊外。だから逆に言うと、三鷹の人は新宿でも渋谷でも行けちゃうんですね。1か月間、新宿の紀伊國屋ホールで上演されている舞台なら、仮に三鷹公演の料金が多少安くても、紀伊國屋で見る方がいいと思う人が多いだろうと、それは容易に想像がつきました。
森元隆樹さん それに、元来僕は、人の真似をするのが大嫌いだったので「とにかく、三鷹でしか見られないものをやろう」と不文律みたいに自分で決めたんです。あと「自分がいいと思った劇団の公演だけをやろう。老舗だろうが若手だろうが、今現在の集客数が多かろうが少なかろうが、自分の目で見て『いい』と思った劇団とだけ組もう」「評判になってどんどんお客さんが伸びるように、できる限りロングランでやろう」と、これらのことを最初から自分の中で決めてました。
 三鷹でしか見られないもの、かつ、自分の好きな劇団をということで、もうラジカル・ガジベリビンバ・システムの頃から大好きだった「シティボーイズ」の公演なんかを、最初はやりました。シティボーイズは毎年ゴールデンウィークにグローブ座で公演してたので、企画書を事務所に持っていって「秋に、シティボーイズ版タモリ倶楽部みたいな、ちょっと深夜番組風な感じで、かなりマニアックな趣きのある公演をお願いしたい」と言ったらOKをくださって。嬉しかったですねえ。『シティボーイズなひととき』ってタイトルで4回やりました。
 あとは、毎年クリスマスの時期に青山円形劇場で上演してた『ア・ラ・カルト』。これは老若男女誰もが楽しめる舞台で大好きだったので「1日だけ三鷹でバレンタインデーバージョンでやってもらえませんか」って頼んで実現したり。最初はそういう発想でやってたんです。
 で、実はそこに若手の劇団をひとつ、オープニングフェスティバルの中に入れたんです。そしたらその劇団は、直前の公演が下北沢駅前劇場で1000人の動員だったのに、700人になっちゃったんです。これは伸び盛りの劇団なのに悪いことをしたなあと随分反省し、三鷹はまだ体力もないし、駅からも遠いし、若手の人たちには浮動票の集客力も必要だし、今、若手劇団の公演を進めていくのは申し訳ないことをしてしまうかもなあと思って、自分の中で3年ほど封印したんです。
 そしてその間、自分がいいと思った舞台で、しかも知名度のある劇団を中心に手掛けていき、つかこうへいさんの『ロマンス』とか、今井雅之さんの『ウィンズ・オブ・ゴッド』などを、三鷹だけで2週間のスパンで上演してました。で、何とかお客さまもたくさんいらしてくださって満席が続いたので、ちょっとホールとしての体力もついてきたかなあと思い、4年目に拙者ムニエルやジョビジョバの本公演をお願いして、実現したんです。
 ジョビジョバはまだ駅前劇場でやってたころから見てたんですけど、そのクオリティは当時から高くて、マギーさんに「いつかぜひ三鷹で」って言ってたのが実現しました。実は三鷹で公演した頃は、もうジョビジョバの全盛期でチケット争奪戦になってまして、お客さんのパワーが怖いくらいにすごかったですね。
 拙者ムニエルの方はまだまだ無名だったんですけど、やはり下北沢で見た公演が面白くて公演をお願いしたら、村上大樹さんが「猫のホテルと猫ニャーとの3劇団合同公演でいいですか?」っておっしゃって「ぜひぜひ」なんて言って「猫演劇フェスティバル」ってタイトルで公演したんですけど、もうお客さんが入りきらないくらい来てくださって、当日券の列が長蛇になって。
 当時、小劇場の劇団を公立ホール主催でロングランでやるっていうのは、多分なかったと思うんです。で、これら2つの公演の成功を受けて、若手劇団のフェスティバルであるMITAKA Next Selectionを始めたんです。

-何年に始められたんですか。

森元 2000年の2月です。今年が12回目となりますが、実は、毎年の劇団の数を決めてないんです。最低3劇団、いいなと思う劇団が多くて日程さえ合えば4劇団とか5劇団でやった年もあります。今年は3劇団、来年も今現在2劇団決まってます。とにかく、無理に数を揃えることはしたくないので、いいなと思った劇団に出会うまで、毎年じっくりと探しています。
 でも、最初のころは大変でしたよ。企画を通すときは、直属の上司から始まって、市役所の担当部署、理事会、評議員会、市役所の財政課などなど、5段階~6段階くらいの企画説明会を経るんです。市役所としてもね、僕なんかを採用したはいいけど「海の者とも山の者とも」って感じで信用もなかったと思うので、まあそれは市役所の立場に立ってみれば当然なんですけどね、いろんな質問をされましたね。
 まるで定番のネタみたいな感じですけど、ケラさんとご一緒させていただくことになった時の内部向け企画書には「ケラリーノ・サンドロヴィッチ(日本人です)」と、しっかり書きましたしね(笑)。
 またある時は、懸命に、招聘したい劇団の説明をしていたら、市役所の人がじっと私を見て「森元さん、この劇団は東京で何番目の劇団ですか?」って聞かれたこともあります(笑)。想定外でしたねえ、劇団の評価を、何番目かで計ろうという考えがあるとは(笑)。う~ん、今の市役所っぽくていいなあ、生きたセリフだなあと思いましたね(笑)。でも、こちらは市役所から予算のご承認をいただく立場ですから、私も真顔で答えました。「20番目くらいですかねえ」って。そうしたら「ああそうですか」って言いながら「20番目」って、しっかりメモされたり(笑)。
 出演者に「大竹しのぶ」とか「柄本明」とか書いてあると「へええ、来るんだ。ファンなんだよね」なんて言われて話が早いんですけどね。拙者ムニエルとかね。劇団名言われても意味が分かんないですものね。「猫の・・・ホテル?」とか「猫ニャーって・・・何?」って感じでね(笑)。まあ市役所の担当の人もどう判断していいか迷ったんでしょうねえ。
 まあそんな時期もありましたけど、何年か公演を積み重ねて、お客さんも結構入ってくださった実績が出せるようになると、市役所の方からも「評判になってるらしいね」とか「新聞で取り上げられてたね」なんて言ってもらえるようになって、説明も楽になりました。最近は劇団名を言っても「頑張って」と応援してくださって、ありがたいことです。ままごととかサンプルとか、結構一瞬「きょとん」としそうな劇団名だと思うんですけど、もう誰にも驚かれなくなりましたね(笑)。(>>


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