-大事な問題とは何でしょう。
ツァラヌ そうですね。ヨーロッパ人としてではなく、この広い世界に人間として生まれてきたことについて考えなければならないと思います。人生は限られていますし、今しかないということもあるので、もっと広い枠で考えましょうということが大事ではないでしょうか。それで例えば日本の多様性にあふれる演劇に触れてみると、もっとリアルに近い現実に触れる機会ではないか、と思います。
-むしろヨーロッパの考え方が狭い…。
ツァラヌ そうだと思います。
ツァラヌ 能楽の要素を現代演劇に取り入れようという作品を見て、おもしろかったですね。ヨーロッパにはない演劇が生まれてくるのではないでしょうか。例えば、錬肉工房の作品です(注2)。(2013年の)夏にジャン・ジュネの「女中」公演がありました。あの作品を能楽の方法論で上演しようというのは驚くべき試みだと思います。衝撃を受けました。もともと登場人物は3人ですが、その公演には女優さん5人が登場しました。役は、役者から役者へと動いていきます。役は一人の役者の身体に付いているわけではありません。つまり役者の身体性とその役との関係はフレキシブルだというわけです。ホントにビックリしました。その舞台は印象に残りました。
太田省吾と宮沢章夫
ツァラヌ 日本の現代演劇で一番好きな劇作家、演出家は太田省吾さんです。いま彼の作品が見られないのはとっても残念ですが、ありがたいことに映像記録が残っています。太田さんは演劇とは何か、人間とは何かを深いところまで考えていました。つまり人間にとって演劇とは何かを考えていたと思います。それが各作品から見えてきます。私にとってはそういうアーティストとの出会いが大事で、個人的には昔と(太田省吾と邂逅する前と)完全に変わりました。人生が変わるような出会いでした。
-太田さんの著作も読み合わせたのですか。
ツァラヌ もちろん読みました。その考え方、思想を反映している演劇も映像で見られました。
-そうですか。いま活動している人で、注目しているのはだれでしょう。
ツァラヌ そうですね、宮沢章夫さんですね。以前に戯曲を読んだことがありましたが、舞台を見たことがなかったんです。今年初めて、宮沢さんが手がけた作品を見ました。遊園地再生事業団公演「夏の終わりの妹」、それにF/Tの公演「光のない プロローグ?」(イェリネク作)です。
「夏の終わりの妹」では物語が時空間を自由に飛び交いますね。沖縄と東京と福島の三箇所が登場人物の記憶の中に現れる。それから、物語に連れられて、観客の想像力が現代と過去を自由に行き来します。寺山修司の作品に言及したり大島渚の映画に言及したり、いろいろな作品を取り上げています。驚きました。
ツァラヌ そうですね。意図的に俳優を不自由にする演出だと思います。動きを制限したりしていて、俳優さんたちは大変だと思います。でもその過程で生まれてくる効果はおもしろい。演出家の意図がはっきり見えてくるわけです。舞台がまさに、現代日本の鏡のようなものになるんです。
-そしてイェリネクの作品も。
ツァラヌ そう。イェリネク作品の上演でびっくりしたのは、能の舞台に似たような舞台を利用していたことでした。その舞台は土に覆われていました。きっと大変だったと思います。