連載企画「外国人が見る小劇場」 第2回

-宮沢演出の芝居にはときどき土が使われますね。

ツァラヌ それで舞台がお墓に見えたので、とても印象的でした。もしかしたらここで登場する人物たちは、死者を代表するのではないかなと思いました。そういう鍵で読み解いてみたんです。それからもうひとつおもしろかったのは、この作品の中では演出家としての宮沢さんの声というよりも、劇作家イェリネクの声がずっと強かった。つまり一生懸命、イェリネクの声を観客に届けるような演出だったと思いました。それにびっくりして、感心しました。ヨーロッパの演出家ではそういうことはありませんから。

-ヨーロッパの演出家が手がけた舞台からは、演出家の声だけが聞こえる…。
ツァラヌ はい、まさにそうですね、みんな独裁者だから(笑)。
-言ってしまいましたね(笑)。
ツァラヌ ごめんなさい(笑)。

-年末にMODEのカフカ三部作の「城」公演を見に行ったときに、宮沢さんが終演後のトークに出てきて、イェリネク作品の上演にいかにてこずったか、演出に苦労したかという話をしていたんですが、舞台から作者の声が聞こえたのですか。

ツァラヌ イェリネクのホームページ(注3)で、全戯曲が自由に読めますね。いわゆるト書きはなくて、詩的なイメージのあふれるテキストです。まさに演出家に挑戦するような姿勢でイェリネクが作品を書いているんです。

-宮沢さんがかつて京都造形芸術大で教えたのは、太田省吾さんに請われたからだと聞いたことがあります。平田オリザさんも尊敬する演劇人として太田さんの名前を挙げていました。太田さんの影響力は意外に広く深いですね。(2013年の)11月にBeSeTo演劇祭でイ・ユンテク(李潤澤)さんが太田さんの作品「小町風伝」を上演したのも、そういう影響のひとつなのかもしれないなと思いました。

ツァラヌ イ・ユンテクさんが逆に太田さんのメソッドを用いなかったのは、とてもよかったですね。どうしてかと言いますと、(超スローモーションで動く)「小町風伝」(初演)の演出方法は能楽の舞台を使ったためなので、おそらく空間によって演劇方法を探すのが太田さんのこだわりだったと思います。でも他の演劇空間の中ではそういう方法が必要とされない。つまり同じ戯曲を必ず別の方法で演出しなければならないんですね。それで、新しい「小町風伝」を見られた、と思ってすごくうれしかったです。

能に興味

-元々日本に興味があったんですか。

ツァラヌ 実は能楽の魅力に惹かれていました。高校時代、演劇活動をしていましたが、演劇関係の仕事をしようとは思っていなかったんです。

-俳優として舞台に立っていたんですか、それとも演出家として独裁的に振る舞っていたのですか(笑)。

055ツァラヌ あの、おもしろいことに、後者だったんですよ(笑)。今だから分かるわけですね。演技の才能は全然ないので、2年ほど演出をやりました。その時期に、図書館にあった演劇に関する本を片っ端から読みました。その中に能楽(謡曲)の翻訳があったんです。読んでみたら、その文章の美しさに感動して、いつか日本語で読みたいという考えが芽生えました。大学に入って日本語とドイツ語を専攻しました。3年生の頃、能楽研究で知られるスタンカ・ショルツ先生がうちの大学で講演をなさった。ショルツ先生はルーマニア出身ですが、ドイツのトリアー大学で教えていて、謡曲を初めてルーマニア語に翻訳した方です。その時「鵺」という謡曲をみんなで読む会がありました。当時私はまだ日本語で読めませんでしたが、でも話を聞くだけで強い印象を受けました。
 何が印象的だったと言いますと、その謡曲は600年前に書かれたんですが、被害者である「鵺」の視点から書かれています。被害者が主人公なんです。ヨーロッパ圏では普通、英雄が主人公になります。つまり悪を退治する英雄ですね。この謡曲ではそれが逆でした。そこがおもしろいなと非常に感動して、やっぱり日本語で読みたいと思いました。
 そこでまずはドイツのトリアー大学に留学して、ショルツ先生や他の先生のもとで三島由紀夫の演劇や日本の演劇論、能楽について授業を受けました。

-実際に歌舞伎や能をご覧になったのはシビウ演劇祭ですか。

ツァラヌ そうですね、いい思い出です。2008年です。平成中村座の歌舞伎公演がシビウで見られるという知らせを聞いて、必ず見に行かなくてはと思いました。今考えれば信じられないくらい、ほんとうにすごいことだったと思います。この間たまたまシビウ演劇祭の関係者とお話して、どのような努力が必要だったか初めて聞きました。一行は総勢80人くらいでしたね。大規模公演を日本から呼ぶのは本当に大変だったようです。

-演し物は「夏祭浪花鑑」ですよね。ご覧になってどうでしたか。

ツァラヌ 今でも鮮やかに記憶に残っています。主人公がほんとうに全空間を自由にコントロールしているような感覚を初めて体験しました。それほどオーラが大きかった。そして1年後(2009年)には能「葵上」をブカレスト国立劇場で見ることができました。普通の舞台で能の演目を上演するのは非常に大変なことですね。2011年にドイツのデュッセルドルフで再び能楽を見ました。金春流の「船弁慶」でした。

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