劇評を書くセミナー KYOTO EXPERIMENT 2014編 報告と課題劇評

9 contact Gonzo「xapaxnannan(ザパックス・ナンナン):私たちの未来のスポーツ」
◎contact Gonzoにおける規範と即興の呼応性(松尾加奈)

 contact Gonzoは、もともと2006年に大阪で生まれ、身体の衝突をスペクタクル化することで、パフォーミングアーツとスポーツの領域の横断を可能にした集団である。今回のKYOTO EXPERIMENT2014において、彼らは『xapaxnannan(ザパックス・ナンナン):私たちの未来のスポーツ』(以下、『ザパックス・ナンナン』)というタイトルのもと、収容規模2万人を超える西京極スタジアムのフィールドを11名で活用し、約60分間途切れることなく観客の前に姿を現していた。

 本稿では、『ザパックス・ナンナン』の規範と即興に焦点を当て、一見よくわからないという感覚の中に潜在する、プレイヤーと観客との関係性を見出したい。また、今回私個人がcontact Gonzoのサポートスタッフとして制作現場に僅かながら携わっていたため、観客と制作側の視点が場合によっては混在していることをここで明記しておく。

 観客は会場に入るとまず大きなフィールドと対峙し、その手前にはバンドのセット、そして両側に巨大なスピーカーが配置されていることに気がつく。と同時に、開演時間前にもかかわらず、すでにマイクを通した誰かの独白がぎこちなく耳に入ってくる。開場時間にすでに開演しているような、極端に言えば、開演時間前にすでに開演しているという矛盾した事態に陥らせているのだ。そうすることで、観客に対し、これからの出来事にいささか当惑を覚えさせる仕掛けが施されていると言えよう。

 「にせんねんもんだい」のドラマーが一定のリズムを反復させ、プレイヤーがフィールドの中心に円状に立ち現れると、これからスポーツのような何かが始まることを予感させる。円の中心に立つ人物の合図で一斉に後退し、跳躍し、そして各々が走り出す。フィールド内を複数の点の動きへと変容させるまでのこの一連の動作は、確実に、フィールドにはある規範が存在していることを暗示する。しかし、その規範なるものは不明瞭で、通常のスポーツ観戦のように、観客がプレイヤーを応援したり、プレイヤーの動作に応じて一喜一憂することを困難にさせる。

 観客はプレイヤーにつけられたマイクの音声を頼りに、置かれている状況に関するなにかしらの情報を読みとろうとするが、発話内容は唐突であり、支離滅裂なことばかりである。テレビなどでスポーツ中継を鑑賞する際、プレイ中に発話するのはアナウンサーやコメンテーターなど、プレイの様子を俯瞰することが可能な安全空間にいる人物である。しかし、本公演では、プレイヤーが実際にプレイをしながら発話している。そのため、当然のごとくプレイヤーは息切れをしており、何の脈絡もない情報の内容を観客に伝達するよりかはむしろ観客に息づかいを聞かせているようであった。

 この呼吸こそが、集団としての単位から個を切り離し、観客の作業を遠くから点の移動を眺めることから音の発信源を探し出すものへと転換させる、無言の機能を担っている。呼吸音を発することは、生身の人間に由来するもので、呼吸音が聞こえるということはその人の身体状況を共有することになる。

 続けて、プレイヤーが突然動きをやめフィールドの一部に集結すると、「ザパックス・ナンナンツアー」が始められる。これは、プレイヤーがプレイ中に転んだ位置を皆で確認し、一つ一つにコメントを添えながら時間をかけてたどっていく作業である。我々は、「ザパックス・ナンナンツアー」の始まりによってプレイの終わりを認識し、「ザパックス・ナンナンはここから始まったのです」という言葉で初めて、これがプレイの起源に立ち返る時間であったのだと知らされる。

 実際、contact Gonzo主宰の塚原悠也氏は、パフォーマンスの始まりと終わりについて、「子どもの遊びがいつ始まり、いつ終わるのかあやふやだという感覚に近いかもしれません。」(注)と述べている。確かに、ここではある出来事の終わりが次の出来事の始まりによってでしか確認できない。加えて、ルールも曖昧のため、シナリオとアドリブの峻別がつかず、思わぬ展開に遭遇しても、観客は即興に気づき、おどろくことすらできないのだ。

 ただ、ここでいう即興とはもちろん何も準備も段取りもなしに当日を迎えるという意味ではない。彼らは、本番に向けた練習、打ち合わせを重ねており、また子供の遊びのように不定期にその場の同意によってルールを上書きしていくシステムを取っている。さらに、当日プレイヤーの創意を付加できる余白を残しているのだ。つまりは、即興をその場の状況や事態の変化に適応した、未来に開いた無限の可能性と見立てていることを付け加えておく。

 日常において、何か新しいスポーツやゲームを実践しようとするとき、我々はルールブックを広げて、内容を完全網羅してから始めるのではなく、出来る範囲で実践してみて、わからないところがあればルールブックで該当箇所の理解を深めていくだろう。例えば、授業で小学生にバスケットボールを指導するとき、座学でルールを徹底的に叩き込んでから実践するよりは、ボールを体に慣らしていき、簡単な試合の実践で生じたトラブルに一つ一つ対応していくうちに、経験を通じてルールを覚えていく。

 同様に、『ザパックス・ナンナン』でも、何も知らない観客に対し、ストレートに実践を提示し、一定の法則を導きだそうとする努力を強いる。しかし、その経験こそが観客からこどもの遊びの感覚を掘り起し、その場の状況に巻き込んでいくことを成功させているのではないだろうか。

 『ザパックス・ナンナン』が空間に正面性を持っている点で、「にせんねんもんだい」は、オーケストラピットであり、舞台と客席を二分化する劇場の構造を踏襲していると感じられる。フィールドという舞台上では、不文律と即興が呼応することで、スポーツにおける単なる勝ち負けという概念を払拭し、常に現在進行形で生成されるプロセスを観客と共有している。誰もがネットを通じて迅速で、簡単に情報を収集できるようになった現代において、限定された客席という空間でルールや状況の読み取りに努力を強いることは、時代に相反するといっても過言ではないだろう。しかし、観客はその実験現場に立ち会うことで、一回性の享受を自らの出来事として特権化していたのではないだろうか。
(2014年10月15日観劇)

(注)殴り合う果ての関係性 contact Gonzo インタビューを参考。[http://www.cinra.net/interview/2010/09/10/000000.php?page=2](最終閲覧日:2014年10月6日)

【上演記録】
contact Gonzo「xapaxnannan(ザパックス・ナンナン):私たちの未来のスポーツ
西京極スタジアム(2014年10月15日)

構成 contact Gonzo
出演 contact Gonzo(塚原悠也、三ヶ尻敬悟、松見拓也、小林正和)、にせんねんもんだい、阿児つばさ、角侑里子、高田光、塚原真也、津田和俊、平尾真希、三重野龍
音響 西川文章

製作 contact Gonzo
共同製作 KYOTO EXPERIMENT
助成 公益財団法人セゾン文化財団
主催 KYOTO EXPERIMENT

チケット料金
一般 前売 ¥2,500/当日 ¥3,000
ユース・学生 前売 ¥2,000/当日 ¥2,500
シニア 前売 ¥2,000/当日 ¥2,500
高校生以下 前売 ¥1,000/当日 ¥1,000
ペア ¥4,000(前売のみ)
※ユースは25歳以下、シニアは65歳以上

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