連載「芸術創造環境はいま-小劇場の現場から」 第8回

中島諒人さん(鳥の劇場主宰)
◎地域や社会に必要とされる劇場とは

 今回は、再び地方へと足を延ばし、寄稿者の藤原ちからさん(フリー編集者)とともに、鳥取の鳥の劇場を訪ねました。廃校を活用したこの劇場では、演劇・アートを通して人々と多様なかかわりをもとうと、秋の「鳥の演劇祭」をはじめ、一年を通して多彩なプログラムが展開されています。また鳥の劇場は、劇場名であるとともに創作集団の名前でもあるというところもユニーク。主宰で演出家の中島諒人さんに、お話をお聞きしました。(編集部)


||| フルタイムの演劇人として

-このインタビューでは、どんな環境で舞台作品が作られているかを、現場の方からお聞きしています。まず中島さんのプロフィールをうかがいたいと思います。演出家で、鳥の劇場の主宰をなさっていますが、これまでの経緯をお話しいただけますか。

中島諒人さん中島 僕はもともと東京で活動していました。2003年に、利賀村の利賀演出家コンクールで最優秀演出家賞を頂いたのがきっかけで、2004年10月から静岡県舞台芸術センター(SPAC)に行き、その契約は2006年3月までだったので、その後、どうしようかと考えました。東京で演劇をやっても、パートタイムの演劇人にしかなれない。僕は、静岡で初めて、演劇だけで生活するという体験をしましたが、その生活を続けたいと思いました。
 そのためには、お金の問題は当然重要。経済的に自立するには、ひとつの方法は、商業的にチケット収入だけでペイできる体制を作るということですね。それはある意味では理想かもしれないのですが。でも、日本の演劇を取り巻くトータルな環境の中で、これこそが演劇の現代における存在理由だというものを追求していったときに、チケット収入だけやっていくのは、おそらく難しいだろうなという判断がありました。そうすると、公的な助成ということを、ある程度頭に置きながら考えなくてはならない。公的な助成が、活動の根幹を支えられるくらい安定して得られるためには、劇場が、社会にとって必要なものでなければならないだろう。
 では、社会の中で劇場が必要だというシナリオが考えられる場所はどこかというと、それは大都市ではないだろうと思ったんですね。グローバル化の中で、経済的な意味も含めて自分たちの地域の生き残り方に万策尽きた感のある田舎の方が、やったことが目立つだろうと思ったんですよ。じゃあ、出身地の鳥取で活動の拠点を探してみようと。鳥取は人口最小県でもあり、押しも押されぬ田舎なので(笑)。
 場所と言ってもなかなかないんですが、ある程度大きい所となると、廃校が候補に挙がってきます。で、行政の方にもお願いし、いろいろ探してみて、この場所に出会った。初めは、幼稚園の方だけ借りることになっていたんです。今はスタジオと呼んでいる、元は遊戯室のスペースも、大きさとしてはそこそこあって、とりあえずこれでもいいかなとも思っていたんですが、すぐ横に体育館があったので、どうせやるならそっちでやろうかなと。それで2006年の9・10・11・12月の第三土曜・日曜に、連続して違った演目をやるという企画を立てて、活動を始めたんです。

鳥の劇場
【写真は、廃校を利用して作られた鳥の劇場(鳥取市)。撮影=ワンダーランド 禁無断転載】

 その頃は、今みたいにフルタイムでやりたいとは思いつつも、でもどうやったらそんなことができるのか、分からなかった。ですが、劇団のメンバーも、場所があって誰にも邪魔されずに稽古が集中してできるということにすごく魅力を感じてくれて、とりあえずスタートを切りました。
 で、9月から11月まで、元体育館の劇場で上演し、12月は寒いので、元遊戯室でやりました。4か月やってみて、面白いんだけど金がないよな、という話になり、そのあたりから、だんだん資金調達のことなんかを考え始めて、ということです。そこから先もさらに長い話になるんですけど(笑)。
 初めは、ともかく自分たちの芝居づくりのことしか考えてなかったんですが、活動していく過程で、どうも、私たちがこの場所で手の中に持ちつつある可能性っていうのは、劇場という「場」の可能性だな、ということに気づくんですね。じゃあ、ということで2007年秋から〈創るプログラム〉〈試みるプログラム〉〈いっしょにやるプログラム〉〈招くプログラム〉の四つの活動の柱を立てて、劇場として、地域の中に存在することの価値を探していこう! と。活動の目的をシフトしていくっていうか、そういうことも視野に入れるようになってきました。
 もちろん芸術団体ですから、つくるということは柱なんだけれど、それだけだと、初め考えていたような「地域の中で劇場が必要とされる」ということにはならないだろう。すごくシンプルに言えば、外から一般の人がこの場所を見たときに、「ああ、あそこは演劇好きな人が演劇を作って、演劇好きな人が見に行く場所だよね」だけの認知になってしまってはいかん、そうならないためにはどういう活動をしていくべきなのかっていうことを、2007年くらいから考え始めました。その流れの中で2008年に第1回の鳥の演劇祭というのを行って、だんだん海外との交流も増えてきて、ということですね。その流れの中で、僕は肩書きで言えば「芸術監督」をやっています。
 僕はここを、劇場を通じての社会実験の場だと思ってるんですよ。演劇・劇場という文化を使って、どのように社会と化学反応を起こし得るかということを、最近は考えて活動しています。(続く>>

「連載「芸術創造環境はいま-小劇場の現場から」 第8回」への6件のフィードバック

  1. ピンバック: 矢野靖人
  2. ピンバック: 矢野靖人
  3. ピンバック: 小暮宣雄 KOGURE Nobuo
  4. ピンバック: 藤原ちから/プルサーマル・フジコ

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