ルーマニア国立ラドゥ・スタンカ劇場「ルル」

◎ルルーマニア-ルルトラップ!!!
 中村直樹

「それでは、猛獣ショーを始めよう」

 東京芸術劇場のプレイハウスの舞台の上に、木で作られた大きな大きな馬蹄形のセットがある。そのセットはなんと客席なのだ。劇場に入場した観客はそのまま舞台上に導かれ、それぞれの席につく。馬蹄形の内側には銀色の冷え冷えとしたステンレスの机が置かれている。新築の匂いのする狭い座席は、ヨーロッパの大学にある解剖学教室というものを模したものらしい。解剖行為は科学的見地だけではなく、見世物という様相もあったそうだ。ルルという作品がどのように解剖されていくのか、それをじっくり観てみようと思う。

 第一幕は写真家のシュバルツとシェーン博士が話し合っているところから始まる。そこにゴル博士は年若い妻のルルを伴ってやってくる。ルルはコートの下は黒い下着姿だ。ルルは撮影用に薄手のローブに着替えてくると、黒い下着が透けている。ゴル博士にそのことを告げられると、ルルはシェーン博士とゴル博士の前で下着を脱いでみせる。「小悪魔的」である。しかし、どことなく清潔感が漂っている。

 シェーン博士とともにゴル博士が出ていくと、ルルに惚れたシュバルツは口説きはじめる。最初は断っていたルルが結局は彼を受け入れてしまう。その時、運悪くゴル博士が戻ってくる。
そして、妻の不貞を知ってしまい、ゴル博士は心筋梗塞を起こして死んでしまう。

 大写真家となったシュバルツは、ルルをものにする。しかし、その生活も破綻してしまう。ルルとの関係を解消したいシェーン博士は、ルルと不倫をしていることを告げる。そして、妻の不貞を知ってしまい、シュバルツは首を掻き切って死んでしまう。

 ルルに抱いていた偶像が破壊された時、彼らは死んでしまうのである。それはあたかもアイドルが処女でなかったとばれた時に見せるファンの憤りのような憤死なのだ。

 ルルは彼らを裏切ったのだろうか。いや、そうとも言い切れない。ゴル博士との結婚生活も、シュバルツとの結婚生活も、シェーン博士のプロデュースによるものである。

 ゴル博士は医事顧問官で芸術的素養は一切ない。シェーン博士によって芸術的素養を勉強させられている。そしてシュバルツも同様だ。彼の写真家としての成功はシェーン博士によってなされている。つまり、ゴル博士もシュバルツもルルの首輪となる為にシェーン博士にルルの夫役をあてがわれたにすぎないのだ。そしてルルでさえ、そんな彼らの妻役をあてがわれたにすぎないのだ。ルルはシェーン博士と結婚したいということしか言っていない。それ以外は状況に流されているだけである。

 つまり、ルルという存在はシェーン博士の欲望によって生み出された存在でしかないのだ。

 そのシェーン博士をラドゥ・スタンカ劇場の芸術監督でシヴィウ国際演劇祭のディレクターのコンスタンティン キリアックが演じている。それがまた面白い。

 シェーン博士によって創られたルルという偶像に一番感化されるのは、ゴル博士でもシュバルツでもなく女のゲシュタビッツ伯爵令嬢である。

 シェーン博士が死ぬ間際に命じた通りに逃げおおせたルルは、娼館に逃げ込み、退廃的な生活を繰り広げる。ここからの生活で、新たにルルに心酔する存在は現れない。シェーン博士のプロデュースがないからだ。ルルについて来た者もただ彼女を頼る存在になってしまうのである。

 ルルは魅力的でなくなったのかというと、そうではない。そこで出会う少女の娼婦によって、ルルは本当の自分を取り戻すのだ。そしてシェーン博士から自立をするのである。だから養父であるシゴルヒに曲芸師の殺害を依頼する。生きるために手を汚す覚悟をしたのである。

 第三幕となりルルは娼婦と成り果てる。しかしそこには第一幕とは違う生命力を放っているように感じるのだ。ダメ男を侮蔑して、生きるために男を部屋に連れ込む。その姿は誰をも気にしないふてぶてしさで溢れている。

 だが、ゲシュタビッツ伯爵令嬢はシェーン博士が生きていた頃のルルの写真を持ち出す。今のルルの姿を見ようともしない。だから、ゲシュタビッツのルルへの献身は偶像崇拝に他ならないのだ。
「ルル、私の天使」
ゲシュタビッツは最後の最後まで、ルルと向き合うことがなかった。ルルに幻想を持ったまま死んでゆくのである。

「ルルはファムファタールである」
そのうえ観客ですらルルに幻想を投影しようとする。観客すらもシェーン博士の手のひらの上で踊らされているのだ。

本当のルルは作られた偶像に翻弄された一人の女にすぎないのである。
(2013年3月2日マチネ観劇)

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