マームとジプシー「ΛΛΛ かえりの合図、まってた食卓、そこ、きっと———-」

13.記憶の不思議に浸る(福原 幹之)

 プルーストの「失われた時を求めて」は、マドレーヌのかけらを溶かした紅茶を口にしたとたん、説明のつかない快感、至福の感情に満たされて、遠い記憶が胸に迫ってくるところから始まる。味や香りが記憶の回路を繋ぎ、回想に導いてゆく。好ましい感覚が、失われた好ましい記憶を呼び覚ますのだ。

 方や、この舞台で思い出されるのは、不安や喪失を伴うつらい記憶だ。町を出て行くときの別れの場面や、食卓で兄妹が集っているときにかかってきた父の死を知らせる電話、海に流されて死んでしまった従兄妹と一緒に過ごしたその直前の数時間、従妹と喧嘩をして互いに傷つけあったこと、など、むしろ忘れてしまいたいことかもしれない。それが記憶の断片として繰り返される。
 でも、失われて二度と戻らない喪失感の埋め合わせをするために、何度も思い出すのではないだろうか。また、思い出すことによって、ざわつく心の中で落ち着き場所を探しているとも言えるだろう。苦しいことでも、だんだん客観的に見られるようになれば、現実の生活で次の一歩を踏み出すことも容易になる。失われた過去に対する向き合い方が変われば、今をどう生きるかにきっと反映される。

 そして、「なぜだろう。思い出してしまうのだ」という疑問。それはまるで、目の前の舞台を通して、自分の頭の中を覗いているような体験だった。何の脈絡もなく突然蘇ってくる記憶には、何か意味があるのだろうか。
 そもそも、なぜなにかにつけていろんなことを、人は思い出すのだろう。ふと思い出す度に、何か記憶に新しい意味づけをしているのだろうか。短い言葉のキャッチボールが繰り返される中で、兄妹や従兄妹たちの感情が少しずつ高まってゆくのを見ると、思い出すという現象は偶然ではなく、意味があるのかもしれないと思いたくなる。思い出せることは繰り返し思い出す。思い出したいという意思がなかったとしても。

 この作品では、背景のスクリーンに次のシーンタイトルが写し出されていた。思い出の詰まった家が区画整理で取り壊されるのを起点に、20年前から記憶を辿り、時間が前後しながら回想を繋げている。内容は、覚えている限り、以下の通り。

 PROLOGUE #1 MY TOWN
   鉄道模型レイアウトをハンディカメラでスクリーンに映し、兄妹が生まれ育った町の説明。
 # PATH IN FRONT OF MY HOUSE
   5人の女が客席側にある六角形の回転舞台を歩き回り、タイトルの「ΛΛΛ かえりの合図、まってた食卓、そこ、きっと——」表示。
 SCENE #1 STATION FRONT
   3人兄妹の妹すいれんが中学生の時、駅に数日放置した自転車を駅員に注意され、保護者として長女りりが呼び出される。すいれんは駅員に悪態をついている。母親がいないこと、母親に甘えられなかったことが、この思春期の少女の反発の根っこにあるようだ。
 20 YEARS AGO
   りりが町を出ていく。見送りは3人兄妹真ん中の長男かえで一人。すいれんは部活があって来ない。りりが去ってからやってくるすいれん。前日ラーメンを家族で食べに行った帰りに、見送りに来れないことを伝えた時のことを回想する。
 #2 LIVING ROOM—MORNING—
   りりの娘とすいれんの娘(小6と中1?)が、ご飯におかずをかける食べ方をばかにしたと大喧嘩。娘をたしなめるりり。
 15 YEARS AGO
   父親の1周忌で食卓に集まる兄妹、従兄妹たち。
 16 YEARS AGO
   兄妹が食卓の丸いちゃぶ台を囲んでいると、父が病院で亡くなったと電話が入る。電話を取るりりと、それに答えて「そっか、そっか」と平静を装うすいれん。
 #3 LIVING ROOM—AFTERNOON—
   近所のおばさん、ふみに中絶費用の10万円を借りるすいれん。それを知って怒るりり。
 #4 STOCK FARM
   かえでと従兄妹のとしろう達が牧場で牛に追いかけられた後、釣りに行くことになる。
 #5 FISHING TACKLE STORE
   餌を買いに来て、としろうとかえでが餌の冷凍庫に頭を突っ込んで遊んでいる。
 #6 CONVENIENCE STORE
   従妹も連れて海に行く前に、浮き輪、雑誌、花火を兄におごらせる。
 #7 ROUTE 37
   自分探しの旅をしている、あんこが、海に行く道をすれ違う人に尋ね、会話が終わる度「バカにしてんのか」と毒づく。
 #8 SEA SIDE
   あんこは10年前この海で溺れた時に助けられ、助けてくれた男の人は死んでしまったらしいと、自分の話をする。死んでしまった男の弟、としろうは、それを聞いている。兄の話はしない。
 #9 ON THE WAY HOME
   雨がやんだ後の水溜りを覗き込んでいるすいれん。(スモークの中)「水溜りの中の世界は反転した世界、なんだかフィクションのよう…」と呟く。
 #10 LIVING ROOM—EVENING—
   りりの娘さとこ、すいれんの娘ゆりは「一緒にお風呂に入ろう」と仲直りしている。この家が取り壊されることを立ち聞きしてしまう。
 #11 BED ROOM
   枕を並べて寝ているとき、従妹の姉ゆりが実は前のお母さんの連れ子だと聞き、衝撃を受けるさとこ。妹のかなが学校に行けてないことを知る。
 #12 NEXT MORNING
   みんな集まって、父の残したこの家を解体する話をしている。
EPILOGUE #1 1 YEAR LATER
   雨が降っている。解体が進み、基礎しか残っていない。りりは、町を離れて、帰らないと決めた時のことを回想している。
EPILOGUE #2 2 YEARS LATER
   家は跡形もない。道路を見ながら、ここがお風呂で…と懐かしんでいる兄妹。「あの夕ごはんにはもう帰れない。でも、なぜだろう。思い出してしまうのだ」

 それぞれのシーンのエピソードは、取るに足らないことのように思えるが、ちょっとした後悔や罪悪感を感じる会話を切り取ってリフレインすることで、罪を自覚し贖罪するような救われた気持ちになる。また、回転舞台で角度を変えてリフレインすることで、同じシーンを違う人が回想している効果をもたらしている。
 例えば、りりが町を出ていく前日の会話で

すいれん お姉ちゃん、、、明日、、、お見送り、、いけないからさ、、、
りり   知ってる知ってる、、、部活でしょ、、、  (句点は戯曲の表記のとおり)

の会話が4回リフレインされるとき、すいれんの後悔の気持ちが痛みを伴うくらいに伝わってくる。部活くらい休めるのに、とか、見送りに来てほしいりりの気持ちはわかってるのに、とか、本当はいけないんじゃなくいきたくないんだ、とか。同時に、理解のあるお姉さんを演じているりりの本音も伝わってくる。無理してほしくないけど、姉妹のつながりが変わる節目だから、本当はきてほしいんだよ、というふうに。

 BGMはストリングスやハーモニカ、シンセサイザー、エレクトーンなどを使った四小節位の単調な繰り返しで、その単調さがかえって日常感を醸し出していたように思う。衣装のデザインは登場人物のそれぞれが違えど、全員無漂白のコットン100%のようだ。これは、特別な家族ではないことを暗示し、感情移入のしやすさを意識しているのだろう。家族の食卓が、まっていてくれる象徴のように描かれているが、そこに父母の影はなく、兄妹中心の物語になっているのが、不思議な余韻を残す。

 思い出す、リフレインする、というのがあまりにも日常の行為なだけに、改めてその意味を考えさせられた。回想シーンのリフレインを繋ぎ合わせたオムニバスのような120分間だった。作・演出の藤田貴大自身の体験と思われる回想を辿りながら、悔いの残る出来事を何度も何度も思い出す湿った感じは、10代の頃に戻ったような楽しい経験だった。
(2014年6月14日18:00の回観劇)

[参考資料]
「かえりの合図、まってた食卓、そこ、きっと、しおふる世界」 藤田貴大 白水社 2012年5月

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