マームとジプシー「ΛΛΛ かえりの合図、まってた食卓、そこ、きっと———-」

5.マームの不在↑↑↑ジプシーの希望(寺谷篤人)

 先日、祖母といっしょに芝居を観た。数ヶ月に一度、祖母は大学進学のため東京に奪われた孫の顔を見ようと、京都の片田舎を出発点にした上京計画を決行する。歳のわりに旺盛な行動力をもってしても、若者の街で二泊三日のスケジュールを埋めることは難しく、最終日は孫に手引きされ小劇場へ足を運ぶことになったのだが、観劇のさなか、祖母の態度は不思議だった。役者が何か台詞を言う度、うんうん、と頷くのだ。ホテルまでの帰り道に真意を訊ねると、いやぁ、お兄ちゃんらの言うてること、わかるよ、と思って、とのことだった。私はその時、なるべく集中して祖母の横顔を見つめた。それほど遠くない未来、もう逝ってしまった祖母のことがふいに頭をよぎるなら、この瞬間が思い浮かぶような気がしたからだ。

 2014年6月『ΛΛΛかえりの合図、まってた食卓、そこ、きっと、———』において描かれた家族像もまさにそのようなイメージだった。物語の中心となる三兄妹の次女、すいれんが序盤、乗っていた自転車を駅前に違法駐輪していたかどで駅員に見咎められる場面がある。駅員は威圧するわけでもなく規則から注意するのだが、すいれんはかたくなに自分の非を認めない。結局、親の代わりに身元を引き受けた長女のりりに謝らせ、そのことでさらに長男のかえでから怒られてしまう。家族間の他愛ないやりとり、それ以外の感想は持ちようがない。ところがそのようなシーンがいくつも連なって一つの作品を構成した時、全体では示唆を含んだ大きなイメージが立ち現れる。

 家族を家族であらしめるものがあるとすれば、それは一体何だろう。まずあえて当然のことを指摘すると、家族という属性は称号ではない。私の祖母の場合、何らかの条件を満たした結果、ただの高齢女性からその地位に成り上がったのではなく、また、誰か別の人間に取って代わられることもなく、祖母は祖母であるがゆえに祖母である。いわば私の側におけるこの認識が祖母という存在を成り立たせ、同時に逆の側からも同様のことが言える。つまり、もし関係性が目に見えるロープなら、私と祖母はともにその端をわが身に巻きつけ、互いの地位を支え合っているのだ。したがって段落最初の問いに自ら答えると、家族を家族であらしめるものは、他ならぬ家族である。

 家族間における他愛ないやりとりの連続は、この事実を見込んでいるのではないだろうか。壮大なメタファーの絵を完成させる構造の仕掛けも真理のありかを一発で照らし出す刺激的な台詞も登場しない代わりに、この芝居を観ている間、私の目の前にはつねに何本ものロープが揺れていた。しかも舞台上で結ばれていたのは個人と個人ばかりではなく、家や町もその対象だ。物語の主軸となる生家の喪失に、三兄妹がなぜこだわるのか。理由はない。言い換えれば、三兄妹にとってその家が生家だからだ。これは一切の小細工を排除したからこそ生じる効果だろう。そうして何かと何かをつなぐたった一本のロープを目にするうち、いつしか、そのかけがえのなさに気付かされる。

 舞台を観ながら思わず頷いてしまう、そんな私の祖母は、この世に一人しか存在しない。そして、逝ってしまえば代役は誰にも務まらない。その切実さに対して、この芝居の登場人物たちはとても正直に振る舞う。前述の三兄妹は成長すると長女は一人、次女は二人、子どもをもうけるが、三人ともまだ、ささいなことから口喧嘩をしてしまうほど幼い。

 もっとも保護者である三兄妹の方も、別々に暮らすうちは互いのことを心配し合うくせに、集まれば集まったで家の取り壊しを中止できないか話し合う。近所に住む人々がその家を訪れるのも温もりを求めてのことだろうし、三兄妹の父親さえ病魔に侵されると、死なせてください、と最期の判断を他者に委ねた。バックパッカーのエピソードはわかりやすい。彼女が北海道という列島の果てまで旅した目的は、本当の自分を見つけるためだ。みなが自主独立を避け、拠り所を必要としている。

 ここで家族、生家、故郷など帰属先とされる対象を母体=マームに喩えるなら、彼らはさしづめ胎児さながら関係性のロープ、いわばヘソの緒を必死に手繰っている。それとつながっているかぎり、まるで羊水にくるまれるような快適さを得られるかもしれない一方で、じゅうぶんに成熟した赤ん坊がやがて胎内を脱出するのと同様に、私だっていつかは祖母と死別する。芝居の中でこの事実について言及されるのは、先に述べた駅前の場面だ。多層的に時間を重ねる形で、違法駐輪の件も含め、駅を利用する人々の無数の行き来が再現された後、ぽん、と象徴的な台詞が飛び出す。メモを取らないので正確さは保証できないが、いろんな人が、ここからこの町に来て、そして出て行った、という内容だったと思う。三兄妹のうち家を出た姉妹に対し、長男のみは居座ったが、やはり永遠に住み続けることはできなかった。要するにマームには、あらかじめ別れが設定されている。

 その対抗手段として回想は存在する。それに浸っている間、人はマームとの再会を叶えるからだ。実物との別離を迎えたのちは記憶のストックがその代わりとなる。しかし記憶もまた薄れゆくものに違いない。だから私たちは思い出す。いつか忘却の彼方に去ってしまうものを、引き留めようと意地になって、何度も何度も思い出す。この習性を舞台上で表現したのが同じ役者たちによる同じシーンの、しかし反復の度に昂ぶっていく感情の演技ではないか。私はリフレインを記憶の風化に対する、せめてもの地団駄として解釈する。

 もっとも所詮、風化の凄まじさは凌駕できない。そのことは芝居においても再三強調された。屋外の場面でしきりに降っていた雨は忘却の力強さを表現しているのだろう。どちらも一旦始まれば人間の手に負えるものではない。回想を繰り返しても無駄だ。記憶は再生される度、必ず恣意的な編集を加えられ、何度目かにはまったくの別物が出来上がる。劇中の台詞を借りれば「水たまりに映った顔はフィクション」なのだ。

 このように考えるとむしろ、本質的にマームは不在である。

 私は観劇中、激しく心を揺さぶられた。舞台上の人物に対してなされた描写はそのまま現実の私たちにも当てはまる。この世に二人といない母親を、人は誰でも切実に思い、しかし別離の機会は避けがたく、縋るべき記憶は薄れゆくばかり。事実だからこそ、大きくペシミスティックな方向に振られてしまう。ところが、ディズニー映画とはわけが違うことを百も承知で、やはり最後には救いが欲しい、という私の本音に終盤、ふいに得た閃きが応えてくれた。舞台では簡素なフレームが家を表現していた。場面の切り替えごとに役者たちがそれを組み立てては壊し、また組み立てる営みが、この芝居を作った本人の半生に重なった。

 藤田貴大が岸田國士戯曲賞を勝ち取ったのは弱冠二十六才のことだった。当時の記録を破る最年少受賞である。若くして演劇界の芥川賞とも称される栄冠に輝いた彼は、数多の表現者たちがしのぎを削る小劇場の世界においても、いわゆる天才として認められた者の一人だろう。

 故郷である北海道から上京してきたのは演劇をするためだった。意外にも子役からスタートするキャリアにおいていかなる悪戦苦闘があったのか、詳細には私の知るところではないが、少なくとも彼は一度、自身の主宰する劇団を潰しており、現在の劇団『マームとジプシー』が特定の役者を所属させず作品ごとに声をかける体制を採っているのは、その経験があってのことだろう。またタッグを組む相手は演劇界にかぎらず漫画家、歌人など多岐に渡り、さらに今年九月末にはもう一人の天才、野田秀樹の戯曲を演出することが決まっている。この芝居は、そうした創作活動の果てなき流浪のさなか、これまでの道のりを振り返る意味で作られた。

 いわば、マームの不在を受け入れたジプシーの旅にこそ、希望がある。

 このイメージは明るい。不在と希望を両手に携え、わが道を直進するのは、決して若き天才のみに許された特権ではないはずだ。凡人にも可能である、というより、大半の人々は自然と実行していると思う。当たり前ゆえに意識されないだけで。

 最後に身内を例に出すと、私の祖母が最近口癖のように宣言する目下の目標は、そう遠くないうちに開かれるだろう私の結婚式に出席し、花嫁のルックスを確認するその日まで、寿命をつなげることだそうだ。
(2014年6月17日19:30の回観劇)

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