東京芸術劇場「狂人なおもて往生をとぐ ~昔、僕達は愛した~」

11.いわんや観客をや(平井千世)

 小劇場レビューマガジン ワンダーランドが、劇評サイトと「劇評を書くセミナー」を3月末で休止するという。メルマガを取っていない私は、時々、こちらのサイトにおじゃまして、様々なジャンルの舞台のレビューを楽しませてもらっているのだが、今回もたまたま訪れてこのニュースを知り愕然とした。以前は商業演劇を年に1~2回観に行く程度の観劇歴の私だったが、こちらのセミナーに参加し、スタッフや参加者のみなさんのお話を聞くことで小劇場演劇の魅力を知り、今やすっかりハマってしまっている。ワンダーランドは、いわば、私の観劇の先生だ。セミナーに申し込みはしているものの、ここ数回は劇評を書いていない。最後になるならなおさら、今回は絶対書かねば! 使命感を感じながらこの劇評を書き始めた。

 『狂人なおもて往生をとぐ~昔、僕達は愛した~』は、1960年代から70年代の現代演劇の作品を若手演出家が再演する東京芸術劇場のRoots企画の第二弾。1969年に俳優座によって上演された清水邦夫の戯曲を、気鋭の演出家・熊林弘高が演出する。翻訳物を多く手掛け各方面から高い評価を受ける熊林の新たな挑戦に期待しながら劇場へ向かった。

 精神に異常をきたした長男・出(福士誠治)は自宅を娼婦の館だと思い込み、自分を売春宿の女主人のヒモだと信じている。家族はその妄想につきあい、母・はな(鷲尾真知子)は売春宿の女主人、姉・愛子(緒川たまき)はそこで働く娼婦、父・善一郎(中嶋しゅう)と次男・敬二(葉山奨之)が女を買いに来る客を演じる。家族を嫌悪する次男は調理師学校の学生ながらも、近々結婚し実家を出ていく予定だ。
 ある日、敬二の婚約者・西川めぐみ(門脇麦)がやってくる。狂人だという敬二の兄の出に会ってみたいと彼女は家にあがりこんでくる。そこで、めぐみを巻き込んで、家族ごっこが始まった。徐々に明らかになるこの家族の秘密。隠ぺいされてきた事実が暴かれていく。一家の狂気に呆れ、捨て台詞を吐いて家を出ていっためぐみだったが、居直り虚しく、彼女はトラウマを目覚めさせられた敬二によって殺されてしまう。出と愛子は禁断の愛を成就させ、2人は家を出る決心をする。置き去りにされることに恐怖を覚える敬二もまた兄・姉と共に出発した。
 とり残された両親。狂ってしまった3人の子どもたちが去っていってもまだなお平然と習慣と秩序へのこだわりをみせ続ける両親もまた狂気のベールに包まれていると感じた。

 なんとも官能的な作品だった。薄暗い照明や、手をたたくとピンク色の電気が灯る振り子のようなペンダントライトの視覚効果や、娼婦の館という設定もさることながら、ここの家族は一人ひとりがやたらと艶めかしかった。一昔前にチラリズムという言葉が流行ったようだが、それのように、この舞台には、そのものズバリというよりも少しだけ見せることによって想像力をかきたてるエロスにあふれていた。
 姉・愛子役の緒川は、最初はグリーンの羽織り物をまとっている。それを脱ぐと袖や裾が広がった60年代風のニットワンピースで、ラッパ状の袖口から白い二の腕がチラチラ見える。深めのVネックだが谷間は見えそうで見えない。鷲尾のフレアーのロングスカートや、中嶋の着流しも体を隠すことでエロティックを表現する衣装だろう。
 幕間の休憩が終わってすぐの第2部は、暗い舞台に洗面器を持った緒川が現れるシーンから始まる。倒れている福士を起こしてシャツを脱がせ、赤いタオルで福士の体を清める。舞台正面の私の席からは福士の顔は見えないのだが、背中だけしか見えないことで、姉弟の愛の生々しさがより増幅するように感じた。

 それとは逆の手法を門脇がとっていた。登場人物の中では門脇だけがここの家族ではなく、ひとり異質の雰囲気だ。門脇の衣裳はベージュ地に赤いチェックのミニスカートスーツ。細いのに太ももとふくらはぎに肉がついたメリハリのある形のよい脚がとてもキュート。最初は大袈裟なしぐさにスカートが翻り、下着が見えそうでドキドキした。しかしその後で、赤いパンツを丸見えにしながらあぐらを組むシーンを組み入れることで色っぽさをかき消し、めぐみを粗野な女に見せていた。

 この舞台で、特に輝いていたのが、緒川たまきだった。彼女の所作の美しいことこの上ない。歩き方、脚の組み方、顔を傾ける角度、腰掛ける時の手の位置まで計算し尽くされているように優美で、舞台上に艶めかしいオーラを放っていた。彼女のしっとりとした声も耽美的で、作品を甘美に仕上げるために一役も二役もかっていた。
 この作品はリバイバルではなく、清水邦夫が緒川に当てて書いた戯曲のように感じた。清水が1969年にかいた戯曲では、愛子は出の妹となっていた。これを姉に設定しなおし、緒川をキャスティングしたことでこの舞台が成功を収めたと思うのは私だけではないだろう。

 『狂人なおもて往生をとぐ~昔、僕達は愛した~』というタイトルは親鸞聖人の教えを説いた歎異抄の有名な言葉「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」を下敷きにしていると考えられる。歎異抄で使われる善人とは自力で功徳を積むことで悟りを開こうとする人、悪人とは煩悩にとらわれて自力では悟りを開けない人を指し、一般的に使われている善人・悪人とは違うのだが、この言葉をそのまま現代語に訳すと、「善人でさえ往生できるのだから悪人が往生できるのは当然である」となる。
 この作品の登場人物はみんな狂っていた。完全にイってしまっている人は狂人だが、熱中する人やマニアも狂人と使うことがある。舞台に命を捧げて演じる俳優たちもまた狂人ならば、「いわんや観客をや」と私は言いたい。この作品を観た私もあちらの甘美な世界へ連れていかれた。劇場を後にする時はいつも天に昇る気持ちで帰宅したいものだ。

 最後に、私はワンダーランドのサイトが休止になると知ってとても残念に思っているひとりだが、今までボランティア状態で運営して下さった代表の北嶋さんはじめ、スタッフの方々に深くお礼を言いたい。春は、学校の卒業・入学など別れと出会いの季節でもある。なお、今後、ワンダーランドのスタッフの中から新しい活動を始める動きがあると聞く。こちらの方もとても楽しみ! 期待している。
(2015年2月24日14:00回観劇)

 

 

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