イキウメ「The Library of Life まとめ*図書館的人生(上)」

9.命の記録、あるいは閻魔帳の図書館の物語
  吉田季実子

 イキウメという劇団名は此岸から彼岸を眺めることから得た連想だと聞いている。今回の『The Library of Life まとめ*図書館的人生(上)』は過去の『図書館的人生』からいくつかのショートショート(『青の記憶』『ゴッド・セーブ・ザ・クィーン』『輪廻TM』『賽の河原で踊りまくる「亡霊」』『東の海の笑わない「帝王」』『#2 (Poisson 魚料理)』)を抜き出している。

 舞台の設定は図書館で、いくつもの本棚に囲まれた閲覧室で人が思い思いに本を読んでいる。新しく訪れた人に聞かれても誰が職員でどこに出口があるのか誰も知らない。ただ、本に書いてあることを噂の伝聞として小出しに教えてくれるだけだ。各ストーリーが展開されている間、誰かがどこかで本を開いているので、その本の内容が再現されているのだろうとの推測はできる。最初の短編は『青の記憶』だろうか、図書館で急に地震が起き治験で集まった人々はそこから出られないということに気づいてパニックになる。『青の記憶』の初演は最初の『図書館的人生』だったようだが、地震で死ぬということ、そしてその人たちが前世ではやはり地震で命を落とした東北地方の家族だったということは、この時期の再演では、初演とはことなった意味合いを帯びる。短編は順番に上演されるのではなく、図書館を中心に同時的に進行するのであり、役者も複数の役を兼ねているので誰が今誰の話を演じているのか、時折混乱させられそうにもなる。中盤以降、地震で死んだという人々の前でこの図書館は死んだ人々の生きた記憶を本として納めており、図書館にいる人々はあの世とこの世の間にただよっているということが告げられる。それをきっかけに、たとえ複数の役を一人が演じていたとしても、前世―今生―来世のラインの上にいるかもしれないという見方も可能になってくるのは『ゴッド・セーブ・ザ・クィーン』から『輪廻TM』へのシークエンスのなせる技だろう。

 図書館の後ろには段ボール箱が積まれているが、それが『賽の河原で踊りまくる「亡霊」』では、賽の河原の小石になる。まさに図書館こそ此岸と彼岸の合間なのである。考えてみると確かに図書館の閲覧室というのは不思議な空間で、往々にして知らない同士が全く異なる本を自分のペースでコミュニケーションもなしに読み続けるが、読書という対象への何等かの集中と没入を必要とする孤独な作業を同時多発的に狭い閉鎖空間で行うこと、そして本の中の世界へと思考を旅させる=現実から見た彼岸への意識の旅とそこからの帰還を赤の他人同士がとなりあって経験している空間である。さらに、そこには基本的に傍観者は存在しないので、客席に座ってその光景を見せられているとちょっと不思議な心持になる。だから、図書館がこの世のものではないところといわれてもあまり突飛な発想とも思わずにすんなり受け入れてしまえる。そのような図書館の場所性が今回の公演ではよい関節になって各短編をスムーズにつないでいた。

 『図書館的人生』シリーズを観劇するのは初めてなので、それぞれのショートショートが初演時にどのように連結していたか、そして図書館はどのような場所として描写されていたかに関する知識がないのは非常に残念だ。しかしながら、今回の上演に際しては一見同時多発的に進行している各短編の起点として、人生の記録が置かれている図書館があって一人の役者が複数の役を兼ねていてもそれがある人の前世―今生―来世なのではないかと解釈したとたんに散漫に感じられた展開の中に軸のようなものが見えてきた。図書館が人生の記憶の貯蔵庫であり、『賽の河原で踊りまくる「亡霊」』で奪衣婆に自分の本を渡されるまで小石(ここでは段ボール箱)を積み続けなくてはならない賽の河原なのだろうということは見当がつくのだが、図書館にある段ボール箱といえば中身は本と相場が決まっているし、それならば小石を積むということは各々の人生を振り返ることなのだろうかなどと考え出すと、クリアになりかけた短編同士の相関がまたわかりにくくなってしまう。『青の記憶』での何度生まれ変わっても地震での死を繰り返す人々という設定のインパクトが強すぎたせいであろうか、高くそびえて地震の時に動かされる本棚にも鬼によって崩されるうず高くつまれた段ボール箱にも震災の影がつきまとう。

 物語の貯蔵庫としての図書館で、誰かが本を開くと別の誰かの物語が上演されるという道具立て、そしてその物語は劇中劇というよりも死んだ誰かの人生だという設定はありふれたものかもしれないが、図書館という場所のもつ特殊性ならびに舞台上の閲覧室のセットのリアリティーも手伝って短編集の要としてはよく機能していたと思う。気になったのが、賽の河原という概念上の空間であり、かつ地震による死の現場としての二重の意味でのあの世とこの世の境界としての図書館の存在である。イキウメという劇団名の語感、そしてあの世を俯瞰するというその由来からも、この合間の空間をどう描き出すかが今回の上演のみそだったような気がする。そこにさらに昨年の震災の記憶が色濃く重ねざるを得ない今、最後に本を手に図書館から出ていく人たち、すなわち自分の生きていた記憶を抱きしめた人たちの後ろ姿に対して、鎮魂や再生を読み込むのはあまりに軽いのではというためらいが生じてしまう。『図書館的人生』シリーズは2010年以降今回まで上演されていない。2011年3月11日を経て、既存の素材をどう調理するかが作・演出の前川知大の腕の見せ所であり、むしろ素材は同じでもつなぎ方によってはほとんど新作といえるくらいに短編同士の関節の部分、すなわち行間に意味を持たせることの可能な芝居であった。前川が『現代能楽集Ⅵ 奇ッ怪 其ノ弐』でもふれた鎮魂について、今後図書館的空間を通して前川がどのような展開を見せてくれるかが気になる上演だった。

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