10. 考えなくていい物語
別府桃子
図書室や図書館。私も大好きな場所だ。壁のような書架に囲まれていると、どこか浮世離れしているようで落ち着く。図書館には色々な人がやってくる。基本的に一人一人の世界なのだけれど、暗黙のうちにお互いを尊重しているのが感じられる。本を手に取ると、その質感で彼がベテランなのか新入りなのかが分かる。ちょっと気になったけれど書架に戻すとき、またこの場所で会えるかと少し不安になる。随分アバウトな探し物でも、よくよく探せば出会えたりするから、そこがまた楽しい。
今回の作品の舞台は、幻想的な図書館である。天井まで伸びる書架。それにかかる梯子。本を運ぶカート。椅子に机。まず舞台美術が見事で、セットを変えずに違和感なく、そして全体の世界観を維持しているのが魅力的だった。この図書館に、皆何を求めているのか。なぜ訪れたのか。▼場転のために、書架を回転させるガタンッという音が高校の図書館のものとそっくりで、懐かしい気持ちになりながら、その心地よい不思議な雰囲気に身をゆだねて鑑賞した。
劇団結成10年目のイキウメ。今までに上演したオムニバスシリーズ、『図書館的人生』から選りぬいた演目をまとめたものが今回の『The Library of Life まとめ*図書館的人生㊤』である。同じセットの上で六篇の物語が浮かんでは消える。終演後、六篇の順序をすでに思い返せなかったのは、全体の流れを断ち切らないままに、次の物語へスムーズに移行する演出が精巧なものだったからだろう。決して私の記憶力が残念な代物であるせいではないはずだ。
2006年に上演された『短篇集 図書館的人生 Vol.1』からは、三篇。病院の一室に集まった初対面の五人、大きな揺れを感じた後、周りの状況と各々の行動が何かおかしい『青の記憶』。今にも投身自殺しようという女の前に現われた謎の男2人、死ねと言ったり待てと言ったり、『ゴット・セーブ・ザ・クイーン』。とある事情で現世の“自分”が生きづらい男が訪れたのは、ある装置の開発研究をしている2人組の男が棲みつく寺、『輪廻TM』。
そして、2008年に上演された『図書館的人生 vol.2 盾と矛~攻めるものと守るもの、武器についての短篇集~』からは、二篇。意味のわからない作業をさせられる亡者、それを監督する鬼、その鬼を監督する奪衣婆、『賽の河原で踊りまくる「亡霊」』は各々務めを終わりたい。人とは違う感情表現しかできない男と、言葉ではなく態度が欲しいその妻は分かり合えるのか、『東の海の笑わない「帝王」』。
2010年に上演された『図書館的人生 Vol.3 食べもの連鎖~“食”についての短篇集~』からは、美学ある万引きのプロと、彼に惚れられた懸賞のプロ、犯罪行為に美学はあるのか、そこに愛は共存できるのか『いずれ誰もがコソ泥だ、後は野となれ山となれ』の一篇。
イキウメの作品に触れるのは初めてだったが、普段観劇をしない人にもオススメできるような、肩の力を抜いて観られる芝居だと聞いていた。実際に観てみて、なるほど確かにと思った。役者の演技も、コメディ的誇張はあれども仰々しい誇張はないクセのない芝居である。照明や音響も、観客の心拍数をあげようと煽ってくることもない。脚本だって、「あぁあぁ、そんなこと言っちゃって。やっちゃって。まぁ。もう」なんて変にハラハラしないで済む。素直な楽しさがある芝居だと思った。
役者や裏方をやっている知人を除けば、私の周りには観劇が身近な人はほとんどいない。悲しいことに小劇場系の演劇は特に敬遠される。ミュージカルまではわかるけど、そういうのはちょっと。演劇が好きだと語れば向けられる苦笑に若干トラウマを覚えつつも、それでも演劇が身近になればと、私は日々脳内シミュレーションに勤しむのである。それはチケットをとる時であったり、観劇後であったりするのだが、もし一緒に行くなら誰がいいだろうと考えるのだ。この舞台美術、ストーリー、時代選定、俳優さん、きっとあの子に―と単純に好みを当てはめてみる。観劇後にドスンと来る芝居なら、語り合いたい人を思い浮かべる。うわ、この作品一緒に楽しめる友達はいないよ、という時ももちろんある。今回の作品は、どちらかと言えば万人受けするタイプではないだろうか。気楽にオススメできる感触があった。それは、日常世界にファンタジーを絡めたような作風とオムニバス形式をとっていること、まさに短篇小説の雰囲気に理由があると思う。
学校の図書館に居座っていたある日、同級生が書架の間をうろついてはしゃがみを繰り返しているので、何をしているのだろうと声をかけた。聞けば、悩むことが多く憂鬱な気分なので、わけがわからないけど没頭できて何も考えずに済む時間が欲しい。そのために調度いい小説を探しているとのことだった。軽い気持ちで声をかけたのに、ヘビーなものを引き当ててしまったので複雑な気持ちになったのを覚えている。私は必死に▼口角を上げつつ脳内をフル回転する難しさを噛み締めながら、恩田陸の短篇集をいくつか紹介した。短篇ゆえに読む手を止めるタイミングが作りやすいことと、ファンタジー色が強くて現実を感じさせないこと、砕けた読みやすさがあり、かつ、わけのわからない文章であることが選んだ理由だった。返却に来た彼女は、リクエスト通りの本だったと喜んでくれていたので、おそらく正解だったのだろう。
短篇で、ファンタジー要素がある点で言うと、この作品と共通していたと思う。それぞれの物語は深読みしようと思えばできるだろうが、その必要性を感じさせない。さあこの作品から自分で何かを考えろ、とは言ってこない。あくまでもエンターテイメントである。わけもわからぬまま、その世界観にどっぷり入り込んで、そしてほどよく楽しんだところで、何も持ち帰らずに現実に帰ってくればいいのだ。思い出やお土産を持ち帰らなくてはいけない温泉旅行ではなくて、近場のスーパー銭湯に出かける感覚でいいのだ。
観て楽しかった。でもだから何だと言われると何もないので、この文章をどう書いたものかと正直困った。賽の河原で、鬼がある名言を引用していた。「考えるな、感じろ」、そのお言葉に甘えたいと思う。この作品の魅力は、考えなくていい物語であることではないだろうか。読み取るべきメッセージはあるのかもしれない。でも、読み取れない自分のような者にも楽しいと感じることはできるし、それで十分なのだ。ひとつひとつの短篇は、笑いどころがあるし、どこか切ないし、想像力が掻きたてられる。もちろんそれを支えているのは、安心して見ていられる役者の安定した演技力であるし、演出である。特に岩本幸子と伊勢佳世、安井順平の演技は、そこに欠かせない一つの世界を醸し出していて楽しめた。
あえて弱点をあげるとすれば、あまりにもスムーズに物語が移行するため、一つ一つの余韻を楽しむ時間は物足りなかったかと思う。また、全体的にサラリとしすぎていて、一回では少し物足りない気もする。けれど全体の終わり方がうまい。書籍という形になった人生を読もうと皆が探し求める図書館の中で、男は別の探し物を見つけてくれる。ここにいたのか。穏やかにそう告げる。ニクいなぁ、ずるいじゃないかと言いたくなる終わり方だ。あの一言で、「嫌だ、まだもうちょっと」と駄々をこねる観客も図書館から大人しく帰るというものだ。
この芝居のタイトルは『The Library of Life まとめ*図書館的人生㊤』、上巻ということは下巻もある。次回作も読んでみたい。
(2012年11月22日19:00の回観劇)