FUKAIPRODUCE羽衣「サロメvsヨカナーン」

11.チュッパチャプスは、あめのあじ(澤田悦子)

 東京芸術劇場シアターイーストの扉が開くと、舞台にはチュッパチャプスの雨が降っていた。雨の日は、何故か物悲しい気持ちになる。特に雨の日の夕方は、人恋しくて、寂しい気持ちになるものだ。FUKAIPRODUCE羽衣・第15回公演「サロメvsヨカナーン」は、そんな雨の日から物語が始まった。しかし、冒頭から「シャッ、シャッ、シャッ、シャッ、シャッ、シャー」と、踊りだす男たちを見て、私の物悲しい雨の思い出など一気に吹き飛んだ。上手いとは言えない、不恰好なダンスと、切れのあるダンスが混じる。「妙ージカル」を掲げるFUKAIPRODUCE羽衣の奇妙な空気に、若干気後れしながらも引き込まれていった。

 「サロメvsヨカナーン」は、オスカー・ワイルド作/福田恆存訳の戯曲「サロメ」を原案としている。ワイルドの戯曲「サロメ」は、新約聖書の「マルコによる福音書」(6章14節~29節)、「マタイによる福音書」(14章1節~12節)を基に創作された。聖書ではサロメではなく、洗礼者聖ヨハネの殉教と言われる一説である。戯曲「サロメ」は、ユダヤの王エロドと義理の娘であるサロメ、預言者ヨカナーン(洗礼者聖ヨハネ)の物語である。サロメは預言者ヨカナーンに恋をするが、ヨカナーンは彼女を拒絶する。サロメは、エロド王のために7のベールの踊りを舞い、褒美としてヨカナーンの首を望む。預言者ヨカナーンを畏れるエロド王は、殺害を避けようとする。しかし結局サロメの望み通り、エロド王は銀の盆に乗せたヨカナーンの首を与える。サロメは血にまみれたヨカナーンにキスをし、その姿に狂気を見たエロド王は、サロメを殺せと命令する。
 「サロメvsヨカナーン」のパンフレットによれば、脚色・演出の糸井幸之介は、『サロメの最後、サロメはヨカナーンの生首にキスをすると、苦味を感じます。そのビターさから始まる物語を、サロメとは逆の道筋で辿ってみたいと思います』と、この物語について書いている。しかし、一見してわかる戯曲「サロメ」の要素は、断片的なセリフと登場人物の名前以外にはないようだ。

 ワイルド系の街で起こる、7組のサロメとヨカナーンの物語は、「現代版・悲劇の男女の物語、マルチアングル」とでも言いたくなる、簡単にハッピーエンドにはならない愛の物語だ。サロメとヨカナーンが7組の男女であるのは、戯曲サロメの「7つのベールの踊り」から取られたものだろうか。
 赤い傘を差したサロメ1(深井順子)は、自分を誘ってきた男、ヨカナーン1(岡田陽介)と恋に落ち、ホテルで「気持ちいい~にゃ~」になる。
 サロメ2(西田夏奈子)はワイルド系の街のスターである。ヨカナーン2(日髙啓介)は、彼女の夫だろうか。ヨカナーン2は、サロメのステージを待ちながら、バーでお酒を飲んでいる。夜も遅くなり2人で帰宅すると、「セックッスのない夜」を過ごしながら眠りにつく。
 関西なまりで小心者のおじさん、ヨカナーン3(田代正彦)は、雨宿りをしていた少女サロメ3(鯉和鮎美)に、声を掛ける。ボウリングで仲良くなった2人。サロメ3は、援助交際をしている少女のようで、ヨカナーン3にお礼として、口で気持ちよくしてあげると持ち掛ける。ヨカナーン3は、躊躇するが結局お礼をして貰う。その後2人は別れ際にお互いに振り替えるのだが、タイミングが悪く互いの背中しか見えない。
 サロメ4とヨカナーン4は、小さな坊やのいる夫婦である。働かずに飲み歩くヨカナーン4(高橋義和)を探しにきたサロメ4(大西玲子)は、帰宅するつもりがホテルでセックスしてしまう。帰宅するとドラえもんのDVDを見ているはずの坊やはおらず、2人で雨の街へと坊やを探しにいく。
 伊藤昌子演じる強気な彼女サロメ5と澤田慎司演じる気弱な彼氏ヨカナーン5は、船で密航しようとするが、失敗し海に飛び込み溺れてしまう。
 不倫カップルのサロメ6とヨカナーン6。サロメ6(中村舞)は、不倫旅行にはしゃぎつつも、2人の関係に対して不安が見え隠れする。ヨカナーン6(加藤晴久)は、不安になるサロメ6をなだめつつその場しのぎの言葉で、関係をごまかしている。
 サロメ7(浅川千絵)とヨカナーン7(ゴールド☆ユスリッチ)は、舞台に登場する最初の2人であり、最後の2人でもある。サロメ7は最後に視力を失ってしまう様子で、暗闇に包まれた2人は「ヨカナーン」「サロメ」と呼び合いながら静かに寄り添う。
 7人の物語は、連想ゲームのように繋がれ、関連性のないまま展開しているが、硝子のタクシーを運転するエドロ(藤一平)と、客のワイルド系な男(枡野浩一)が交わす会話が挟みこまれることで、1つの大きな物語となる。

 「サロメvsヨカナーン」では、2人の名前は個人を表すものではなく、男女を表す言葉になっている。サロメという女とヨカナーンという男が繰り広げる、ありふれた愛の物語。密航する男女は現実的ではないかも知れないが、気の強そうな彼女と気弱な彼のやり取りだけを取り上げるなら、やはりありふれた男女関係に見えるのだ。7組の男女の話は、ネットの匿名掲示板によく出てきそうな話である。恋人同士の彼らには唯一無二である2人の時間と物語は、画面をスクロールしたら、すぐに忘れてしまいそうだ。
 舞台中盤、楽曲「サロメvsヨカナーン」が歌いあげられる。「君の名前はサロメ、あなたの名前はヨカナーン、一人ぼっちよりもマシだから、愛してる。」これは、7組のサロメとヨカナーンの関係性というだけでなく、現代の男女には当たり前の愛の真実なのかもしれない。

 舞台上で演じられる男女の悲劇や愛の物語は、ありふれた物語であるのに対して、楽曲は生き生きとした生命力に溢れている。生まれてから死ぬまでを歌い上げる「サロメvsヨカナーン」のナンバーで語られる人生の苦労や苦悩は薄っぺらだ。でも繰り返し歌うことで、役者の生命力が歌を通じて感じられる。役者が歌い踊る場面は、ありきたりな物語に血肉が通った様に感じられ、語られる人生が唯一無二な素晴らしい人生に思えてくる。この舞台では、ストーリの繰り返しはコピー&ペーストだ。コピーとペーストは、舞台上の男女の物語を観客に浸透させるためのもので、繰り返しても物語は深まらない。しかし楽曲の繰り返しは、観客に対する浸透ではなく感情のリフレインとなって、感動的な効果となる。

 結局「サロメvsヨカナーン」は、なんだったのだろう。ワイルド系の男が最初と同じ場所に下ろされたように、時間は立ったけれど物語が深まらない。7組の男女の話は、ワイルド系の男を演じた、歌人・枡野浩一の妄想の産物にも思えてくる。
 戯曲サロメの悲劇の恋は、ヨカナーンの血にまみれた苦い味。彼女の恋は文字通り命がけだ。今は「一人ぼっちよりもマシだから愛してる。」くらいに、恋や愛は簡単だ。チュッパチャプスくらい手軽に手に入って、チープな味わい。甘くて手軽な味だけど、すぐに忘れてしまう味。現在の私たちには、雨の日の寂しさを紛らわすくらいにしか、愛なんて意味がないものになっているのかもしれない。
(2013年2月1日 19:00 観劇)

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