東京デスロック「その人を知らず」(クロスレビュー)

「その人を知らず」公演チラシ新春最初のクロスレビューは、東京デスロック「その人を知らず」を取り上げます。東京・こまばアゴラ劇場で12月26日(金)から始まり、年明け1月5日(月)まで開かれていた越年公演でした。この舞台を最後に東京公演をしばらく休止するという劇団の舞台をどのようにみたか、次の評価(五段階)とコメント(400字)をご覧ください。掲載は、最新到着順(到着逆順)。編集の不手際で初出のマガジン・ワンダーランド特集号(2009年1月7日発行)に掲載できなかった水牛健太郎さんの回答を冒頭に掲載しました。あらためてお詫びします。(編集部)

▽水牛健太郎(評論家)
★★★★
各場面が視覚的にまことに格好良かった。役者の配置が考え抜かれており、モノトーンの衣装に、学校の教室で使われるような机、鏡などの効果的な使用などがあいまって、絵としていちいちキマッている。これだけでも一見の価値はあった。
戦中と戦後の一人のキリスト者の生き方を主題にした戯曲は、意味がびっしり張り付いた、重くて強い言葉で書かれている。こうした言葉には独自のグルーブがあるし、内容もしっかりしているから、乗っかるだけで、役者にとっても、観客にとっても、一定の呪文的な快楽と劇的効果は約束されている。だが演出家は、単に戯曲に乗っかるだけでなく、自らの生きる時代と状況の中で戯曲とがっぷり組んで、言わば「生みなおす」作業が求められる。それがなければ、いまこの劇を上演する意味はないだろう。その困難に真摯に挑んだことは評価できるが、やはり最後まで「なぜいま」という感はぬぐい切れなかった。
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▽山下治城(プロデューサー)
★★★★★
著作権が公共化されることの是非を問うような刺激的な副題がついていた。
「祝 二〇〇九年一月一日三好十郎全著作公共化」と。
三好の戯曲は、今の時代の気分と重なって見える部分が多分にある。
演出の、多田淳之介はテキストを改変しなかった。
演出でどのように描いていくかということに苦心されたのだろう。
その考えの結果が上手く演出に生かされている。
特筆すべきなのは音の演出について。
様々な音を組み合わせ、そして様々な音圧を組み合わせめりはりのある舞台を作っていく。
音は俳優が自ら発する声だけではなくラジオのスピーカーを通じての声、また、マイクを通じた声、そこにエフェクトがかけられ演出が加えられる。
そして、ときどき効果的に音楽が使用される。
それらの音がないまぜになった世界に浸るということが多田の舞台の特徴ではないかと初見ながら思った。
音楽の意味と、生理的に訴える意味とがないまぜになり様々なことを考えさせられ、誘発させられる。

▽林カヲル(会社員)
★★★★
昨年後半、前田司郎と深津篤史の『近代能楽集』、岡田利規の『友達』と、近代戯曲と若い演出家の組み合わせが不発に終わった後の、多田淳之介による逆転痛打。歴史におけるイデオロギーの絶対性を問う新劇ど真ん中の作品を見事に再生した。台詞はいじらずト書きには従わず、といっていわゆる読み替えではない。様々な仕掛けの実験性と、いまここで演劇を行なうことを自覚した俳優の声と身体の力で現在性の舞台を成立させるという真っ当が融合している。棒読みのようで紙の上の言葉がぐっと浮き上がってくる語りひとつとっても新劇にはなかった方法だ。信念が強いる孤立と集団の関係も奇抜かつ明快に視覚化した。
才能ある演出家でも、というかそうであるほど、先行二作のような劇場に声をかけられ提示された作品を演出する雇われ仕事と、やりたい作品をやりたい俳優と上演するのでは、差が明瞭に出る。単なるアウェーとホームの違いではない。ただし音楽の使い方は疑問だ。歌詞と戯曲の意味が付き過ぎていないか。

「その人を知らず」公演から

「その人を知らず」公演から
【写真は「その人を知らず」公演から。提供=東京デスロック 禁無断転載】

▽大泉尚子(主婦&ライター)
★★★★
うーん、長くない2時間40分だった。この面白さは、骨太で緻密な戯曲の力によるところも大きい。それに加えて、役者の人数分の体の質量や、机・マイク・日の丸と星条旗などの装置と小道具が、縦横斜めと思うさまに使われ、肉付き豊かな作品に仕立てられている。棒読みで矢継ぎ早に繰り出される台詞、危うい足場に辛うじて乗っかっているいくつもの肢体のギリギリ感に迫られる緊張が心地よかった。ただ、舞台空間としての密度は前半の方が高く、後半はやや薄い。それは、戦後の虚脱感を示しているのかもしれないが。
多田演出作品の観劇は「ジャックとその主人」「トランス」に続いて3作目。3つ目に手渡されたピースで、ジグゾーパズルの絵=演出家の仕事が、やっと垣間見えた感じがする(前2作の辛かった時間が報われたような…小劇場の観客は、基本的にマゾヒストだと思うが、我慢して見てると後でいいこともあるんだなあ…)。
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▽門田美和(会社員)
★★★
私の一番身近な戦争体験は、友人にアカガミが来たことだ。その時海外にいた私は、戦争が意外に身近にあったことに気づかされ、そうか、こうして兄は、彼氏は、友は、息子は戦いへと狩られてゆくのかと恐ろしくなったのだった。この舞台は、あてのない咆哮や絶望的な祈りを繰り返す代わりに、そうした現実に正面から挑み、戦争前後の時代に翻弄された男・友吉の話だった。
膨大なセリフを消費するために動きを封じられた11人の役者たちが、机上で身を寄せ語り始めるオープニングから、家族や友人が苦渋し果てゆくシーンを経て、ラストの別れのシーンでこの舞台は終わる。友吉のみにフォーカスされ、周囲のやるせなさが多少無視された気がしたラストは残念だったが、秀逸だったのは、舞台に映し出された日の丸が観客に無言のメッセージを突きつけ続けていたこと、その前で主のごとく頭を垂れる友吉の姿が観ている者を非常に居心地悪くさせたことだ。胸ぐらを掴むような演出の効果と、原作への真摯な姿勢が感じられた。(12月29日観劇)
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▽因幡屋きよ子(「因幡屋通信」発行人)
★★
Jポップやマイク、ミラーボールを使った演出に戸惑った。終演後、演出家による「作品解説」でそれらの意図を聞くことができたが、いや待てよと思うのである。ある若い劇団の制作者が、公演のアンケートで『わかりにくかった』という意見が多かったことに対し、「劇団HPで解説をしようと思ったが、そうすると理解困難な作品であることを認めると同時に、やはり公演のなかで伝えていかなければ意味がないと思い、やめることにした」と話していたことを思い出す。3時間近い大作に挑んだ心意気は素晴らしい。相当な肉体的苦痛があったであろう友吉役の夏目慎也が、清々しく明るい表情でトークに加わっていたことにも安心させられた。しかし演出家の解説によってではなく、やはり舞台じたいから感じ取れるものを大事にしたいのである。今回の★の数は舞台に対するものというより、自分の感じ方、理解度、受容度の評価になってしまったことをお許し願いたい。
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▽鈴木励滋(舞台表現批評、「記憶されない思い出」)
★★★☆(3.5)
一幕の息継ぎ無し長台詞は、「夏目LOVE」で関美能留が用いていたし、窮屈な身体・学校の机・山口百恵・強い発声って、ついに関門下宣言かと思えば、二幕冒頭のは発声良いチェルフィッチュみたい。ベビーブーマー最強演出家の双璧に挑んだのか?
ただ、毎度毎度のハイロウズや尾崎豊の多用は、今回は作品の余白や行間から立ち現れるものと、強い歌詞が相殺気味だった。ウルトラマンとセブンのソフビ人形の鏡像で旭日旗を表し、その前に立つと鏡に映り込んでその一員とされ、あの熱狂への加担を感覚させられる柳幸典の「バンザイ・コーナー」に比して、あの鏡の効果もぬるい。
あれこれ出来る非凡さは万人が認めているが、器用貧乏で終わらないためには取捨選択する非情さが肝要だ。盛り込みすぎだったのは全てを見せ場にしたい貪欲さゆえではなく、あえて思いつくもの持てるものを惜しみなく総動員した東京への置き土産だったと見れば、次は蓋し傑作であろう。
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▽杵渕里果(保険営業)
星なし
デスロックは去年、富士見市のレジデントカンパニーとなり、劇団名から「東京」を廃し、東京公演もこれで休止。「芸術の公共性」なども考えつつの、三好作品「公共化記念公演」。でも著作権が切れると「公共化」? 三好作品は今後税金で運営されるんかい。権利切れたら万人に私有化じゃないの? 奔放なアレンジどころか「公共化後も敬意をもって取り扱われることが大切」と、改編なしに三時間、キリスト者の苦悩を正月っぱらからゴンゴン見せ付けられてしまった。涙。劇中キリスト者は嘆く。「みなさん戦争は儲かりません、だからいけません」。戦争経済など言われもする今、素朴すぎな抑止ロジックにへなへなした。この上演には戯曲の限界への反省や洞察はない。ゆえに、これだけは選って継承せんという焦点は皆無。単に、昔の戯曲丸暗記する真面目な劇団でございます、という、演劇というよりは、市役所向けの供儀といえる。パトロンの富士見とやってな。
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▽片山幹生(早稲田大学非常勤講師)
★★★
作品をいかに表現するかという点では、東京デスロックの演出、多田淳之介は卓越した才能の持ち主だと思う。彼の攻撃的で挑発的な演劇的創意は強力なインパクトを持つ。『その人を知らず』は三時間近い上演時間となったが、彼の独創的な仕掛けに彩られた求心力の高い舞台だった。
その表現の鮮烈さはこちらの感覚に強く働きかけるのだが、見かけ上の奇抜さにも関わらず、テクストの内容と案外素直に結びついており、ときに説明的でテクストのメッセージを平板なものにしてしまう。
仕掛けの数々がテクストの表層で派手に炸裂することで、テクストが持つ深みと不可解さへの道が閉ざしてしまっているように思えるのだ。発想としてはまず演出的仕掛けありきで、その工夫はテクストの「何を語るのか」という問いかけから生み出されたものでないように思える。そこに不満を感じる。もっともこの「平板さ」は表現の破壊力と表裏一体であるのかもしれないのだが。
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▽鈴木雅巳(カメラマン、デザイナー、 「見聞写照記」)
★★★
結果から言うと「え”?」という感じが残ってしまった。一番違和感を覚えてしまったのが音楽の使い方。見事に要所要所に当てはめた選曲であったが、過剰な気がしてならない。今回は尾崎豊のライブ盤からMCの台詞まで劇中で使うという事もしていた。この演出は、サービスなのかエンターテインメントとしてのアトラクション的な解釈ととるべきか、型に当てはまらないぞ、という意志なのかわからなかった。「その人を知らず 三好十郎」と銘打った公演で、舞台最後の言葉は尾崎豊の歌の歌詞、ってどうなんでしょう?
とは言え3時間弱、まったく飽きることなく戯曲の世界も十二分に伝わってたっぷり堪能できました。だからこそ思うのです。三好十郎の戯曲だけでは東京デスロックの舞台には出来なかったのかと。「WALTZ MACBETH」の時に感じた戯曲の再構築による、東京デスロックにしか見せられない新しい景色は何だったのかと。

▽小林重幸(放送エンジニア)
★★★
何と言っても三好十郎の戯曲が秀逸。迎合する姿勢を批判しつつ、返す刀で信念を貫くことにも疑いを持つ冷徹な視点は、人のあり方を普遍的に問う。
その硬派な物語をテキスト中心で立ち上げていく前半は、戯曲が秘める鋭さをそのままの形で提示していて魅力的だ。あえて棒読みのような台詞回しで語ることで戯曲の持つ普遍性が生の形で再現されているように感じた。その分、役者の力量もまた大きく試されていたと思う。
後半になるにつれ、音楽、大・小道具などを用いた演出的要素が強くなっていく。演出意図は明快なのだが、演出のための「段取り」に見える動きも増え、冗長さを感じる部分もあった。とはいえ、全体としてテキストに回帰した仕上がりで、戯曲をピュアに表現することに成功した舞台といえよう。
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▽高木登(脚本家)
★★★★★
休憩時間や帰途に、観客たちが口々に「集大成だ」「集大成だ」と言っている。同感だが、集大成をやろうとしてこの戯曲を選んだのか、あるいはこの戯曲に取り組んだ結果集大成になったのか、おそらく事情は後者で、だからわれわれはたまたま三好十郎と東京デスロックの双方を全的に堪能できるというひどく得難い経験をすることになったのである。
とにかくあれだけ好き勝手をやっているようでいて、きっちり感動させられることに驚く。この感動は演出以前に戯曲の本質から来るもので、だからよけいに驚くのである。方法論に淫しているようで実は淫していない。こちらの想像以上に戯曲に立ち向かう姿勢は純粋で真摯である。多田淳之介の演出作品に難解な印象がないのはたぶんそのせいだろう。観客は気難しい面持ちでたたずむ三好十郎とその作品を「体感」する。理解以前に体感させる、これがどれほどすごいことか、語るだけの余裕がもはやない。(文中敬称略)
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▽谷杉精一(劇作家)
★★★★
心に痛い芝居でした。
じつは観劇中に気がついてしまったのです。三条会の『ひかりごけ』を補助線にしてこの芝居を観ている自分に。舞台装置の学習机を考えると演出の多田も『ひかりごけ』をもう一つの基準点として考えていたのではないでしょうか?
赤いお手玉(日本/軍国主義)とチョコレート(アメリカ/戦後民主主義)のつぶてに痛めつけられる片倉、国家/社会と「個」の孤高な戦いです。しかしイエス様でさえ絶対的な正義でありえない現実を知ってしまっている私たちには片倉の存在も絶対的な正義ではありません。多田はその点からの戯曲に対するアプローチとして『ひかりごけ』をもう一つの基準点として暗に示したのではないでしょうか? 絶対的な正義がありえないように、絶対的な被害者も加害者もありえません。そう考えると終盤の血まみれで包丁を持った妹の演出意図も理解できます。
考え過ぎ? 考えさせるのが多田演出の手腕かもしれません。
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▽井土耕太郎(学生)
★★
東京デスロックが上演した三好十郎の「その人を知らず」は、戦争中周囲からの迫害で家族が犠牲になるなか、悩みながらも反戦を貫き敗戦後も生き方を変えなかった男の物語だ。三好の原作が出来たのは61年前。その61年前の戯曲を小劇場演劇がどう演じるのか。
演劇では役者の趣き、動き、息遣いなどといった身体性と台詞が合致したとき舞台と観客は一体化するが、この芝居では身体性と台詞との間に齟齬が見られズレが生じていた。戯曲の趣意を役者が消化しきれておらず、自分の言葉になっていないのだ。そのため戯曲が演出を介して我々観客の前に現れても、反戦や信仰といった半世紀経っても変わらない普遍的なものが、強くダイレクトには届かなかないのだ。そこには61年という歳月が生んだ風化という現象が、演じる側にも見る側にも忍び寄ってきているといえるかもしれない。

▽武田浩介(ライター、「OLD FASHION」)
★★★
劇の前半、窮屈な状態に置かれた俳優たちが棒読み調にセリフを繰り出してくる。それで物語の筋が伝わってくるところが恐ろしい。それも「しっくりと」伝わってくるのだから。08年6月に観た多田演出による「ワルツ・マクベス」では、俳優達がワーだのキャーだの騒ぐ場面に若干の気恥ずかしさ覚えた。そういったドンチャン騒ぎは本作にもあるのだけど、今回はドンチャン騒ぎを殆ど抵抗無く受け入れてしまう。慣れてしまったわけではない。パフォーマンス的な見方を誘発しつつも、底に脈打つ硬質なドラマがちゃんと、というか、かなり真っ当に迫ってきたからだ。奇抜(と自分は思った)な演出が戯曲にぶつかって、世界、そして人間を徹底的に戯画化する。確かに得がたい体験。でも、次もこれなの…?という気分になってしまったのも事実。なんて思っていたら、東京最終公演?!東京は大学でしたか?それとも小学校?幼稚園?とにかくおめでとう。♪そーつぎょ~~
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▽佐藤泰紀(劇場勤務)
★★★★
一つでは不安定な学校机も一箇所に寄せれば想像した以上に人が乗れることを知る。それらが寄せられた上で怯えるようにひしめく人々。その向こうには磔刑にかけられたキリストを模した男が、日の丸の下でやはり学校机の上に立っている。教室。右も左もわからないまま、黒板に書かれたものを盲目に信じていた時代。出る杭は打たれることを暗黙の裡に知っていくころ。戦時中は整理整頓されていたのに、様々なことが整理されていく戦後は逆に荒廃している舞台上。誰が正しいのか、何が正しいのか、誰にもわからない。その人とは誰なのかキリストに模された男なのか不安定な机の上で子犬のように怯える人々なのか、はたまた脚本家なのか、演出家なのか、誰も知らない。情報に溢れ過ぎているこの時勢で知っているフリをするのは簡単で、それを逆手に取る情報過多な舞台を創造する多田の演出は、あまりにも攻撃的かつポップに観る者に全てを委ねている。

▽香取英敏(会社役員、「地下鉄道に乗って」)
★★★
大晦日午前0時、後幕に映っていた日章旗は、時計に差し替えられカウントダウン。第七劇団の山下裕子のセリフで三好の著作権が公共化する瞬間を迎えた。第1部では7つの学校机の上に11人がすし詰めに座り込む。一人が立ち上がると他は空間を空けるため他とさらに密着し、窮屈で不自然な姿勢をとらされる。戦前の日本人がおかれた相互監視や拘束感、閉塞感を現していると思える。主人公役夏目慎也は一人離れ磔刑姿で立ちつくす。両手は竹刀に日の丸で縛られていたが、戦後になると右は星条旗に交替。「受難」と時代感覚を共に現している。演出プランを大げさな装置などを使わずとも「見てわかる」舞台に現前させる。多田淳之介の「分かりやすい演出」の本領が発揮されている。それは戯曲を精密に読み、真摯に自己の世界を対峙させる「まっとうな対決」の成果である。戯曲が古いなどと「古典」を忌避することが、怠惰に過ぎないことを気づかせてくれる。
・ワンダーランド寄稿一覧:http://www.wonderlands.jp/archives/category/ka/katori-hidetoshi/

▽小畑明日香(学生)
★☆(1.5)
同じく戦争の時代を舞台にした、諸々の中学生演劇のほうが簡潔で心に響くと感じた。装置や台詞扱いは三条会「ひかりごけ」に酷似。ただ東京デスロックの芝居が平易で、わかりやすいことを知らしめる意味では大成功。
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▽北嶋孝(本誌編集長)
★★★★
歳末のクリスマス時期になると、いつも違和感がこみあげてくる。祖系のユダヤ教でもクリスマスを祝う習慣がないのに、どうして極東の「異教徒」がツリーを飾ってお祝いしなければならないだろうか、と。バレンタインデーで女性が男性にチョコレートを贈る風潮も同じ。米国からやって来たシスターが日本の大騒ぎを憤って、手製のクッキーを親しい人たちに性別に関係なく配ったと身近で聞いたこともある。宗教の究極的目標は生活に深く根付くこと、習俗になりきることではないだろうか。まるで「空気」のように。マインドコントロールはここで頂点を極めるだろう。「その人を知らず」はこの「空気」を相手にしている。終盤、舞台奥に現れた大きな鏡面に、俳優も観客も一緒に映る仕掛けが施されていたのは、「もろびとこぞりて」なびく時代の写し絵ではないか。工夫に満ちた舞台を目の当たりにしながら、「空気」の醸し出す低音ノイズが終始耳の奥で響いていた。
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【上演記録】
東京デスロック REBIRTH#3『その人を知らず』
こまばアゴラ劇場(200812月26日-2009年1月5日)

作  三好十郎
演出 多田淳之介
出演 夏目慎也 佐山和泉
猪股俊明 山村崇子(青年団) 佐藤誠(青年団) 桜町元(青年団) 村上聡一(中野成樹+フランケンズ) 坂本絢 征矢かおる(文学座) 山田裕子(第七劇場) 笠井里美(ひょっとこ乱舞) 折原アキラ
入場料 日時指定・自由席 予約¥3000  当日¥3300

★三好十郎著作公共化記念特別公演開催=2008年12月31日23:00開演
(「2009年1月1日0:00付で三好十郎氏の著作が著作権保護期間を終了し公共化されます。 つまり上演中に著作権が切れる、という前代未聞の公演」)

★スタッフ
照明/岩城保
舞台美術アドバイザー/濱崎賢二
宣伝美術/宇野モンド
制作/服部悦子
★協力 にしすがも創造舎 舞台美術研究工房六尺堂 シバイエンジン 渡辺源四郎商店 青年団 中野成樹+フランケンズ 文学座 第七劇場 ひょっとこ乱舞

(初出:マガジン・ワンダーランド クロスレビュー特集臨時増刊号、2009年1月7日発行)


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