柿喰う客「無差別」

3.見て見ぬふりは楽だけど、何か、考えてみる(別府桃子)

 やめてやめてやめて。最初は正直ついていけなかった。私たちが日常を生きていて、隠そう伏せようと裏返したものを、片っ端から表にひっくり返される感覚。裏にしたままなら考えなくて済むのに。どこかエグい柿ワールド。虚構の世界だけれど、怖いくらいのリアルを感じる。

 『無差別』は、劇団柿喰う客が結成7周年という節目に、劇団員7名全員で創り上げた一年半ぶりの本公演、新作長編である。私は、柿喰う客の作品は今年四月に女体シェイクスピア002『絶頂マクベス』で初めて触れて以来だった。女性以外の劇団員の演技や、オリジナルとなるとどんな作品になるのか、期待を膨らませて劇場へ向かった。

 「さて、何から語り始めるか。そんなことは問題ではない」と、『無差別』の世界は始まる。とある村落に、その[生業]を理由に忌み嫌われ、蔑まれながら生きてきた族谷の一族。物心ついた時から赤狗を殺し、肉を喰らって生きてきた族谷狗吉は、その[業]に囚われている。生まれながらに決められた一族の[生業]を恨み生きていた。そんな狗吉に、妹狗子が生まれる。赤狗を殺さずに、穢れた者と扱われずに生きて欲しい。狗吉は、自分の手で妹を育てる決心をする。妹の分までとでも言うかのように、[生業]に精を出す狗吉。意味も分からぬまま経を読み、仏を彫り、肉を喰らわず成長する狗子。

 村を守る楠の木に宿る魂、大楠古多万は、天神様より自分が神になったと告げられる。喜ぶ古多万、祝う山のモグラたち。新たな山の神への捧げ物として、モグラの一族から手のない娘が差し出される。ハンデを背負った体に生まれてもなお、生きたいと願う命。娘はモグラの情欲を利用して、閉じ込められていた穴から脱出。そして倒れる楠の木。天神様の怒りをかったモグラの一族は皆殺される。「我が命、尊くあれ」と祈った娘は、日不見姫神と名乗り新たな山の守り神になるよう告げられる。

 戦争が本格化し、次々と兵士として送られる男たち。犬畜生ではなく皇国民として認められたい狗吉は、出征を認めてもらうために村を守る神木の枝を切りにいく。狗吉は最後の狗殺しに身籠もった母犬を殺めるが、腹の中の子犬が一匹、息のあるまま残った。狗子は子犬の命を助ける。赤狗の子である人之子は、狗子を母と慕い成長する。

 山のモグラに裏切られ、神に見放され、人には大枝を切り取られ、神として命も尽きようとしている大楠古多万。最早誰も信じられなくなった古多万は、恨みに恨んでキノコの物怪(?)に成り果てる。日不見姫神は、神の声が聞こえる狗子を使い、山の神として人から崇め奉られることを望む。新たな神を満足させるのに苦心する村人たち。初めて母に役目をもらった人之子は、舞方様をお連れするために奔走する。やがて村へと連れられてきた真徳丸は、日不見姫神の命を舞い踊り、彼女に気に入られる。

 ある日、空に大きな「キノコの神」が降りてきた。戦争は終わり、神国日本は敗れ、天皇陛下は人となった。狗吉は靖国には行けないままに帰ってきて、穢れぬままに生きてきた狗子の肌はキノコで穢れ、日本は新たな時代に生きようと変わり始める。キノコの前では誰しもが無力で、神も仏も獣も人も、それぞれの生の終わり方を探していく―。

 前作の『絶頂マクベス』では、ぶっちぎりのエンターテイメントを感じたので、今回の『無差別』では戸惑った。個人的にこの劇団の第一の魅力だと思っているのだが、役者の身体を活かした使い方、演技の揃え方、声の高低や抑揚の合わせ方など、私の好きなものはそのままにあった。しかしやはり、性的な、差別的な、あるいはグロテスクな表現もずしりとくるし、何が言いたいのかが把握できなかった。とりあえず、大きな宿題を観客に投げつけてきていることは感じた。

 一度目は、久しぶりに一緒に観るのも楽しいかと母を誘って二人で鑑賞した。後悔した。今の自分には、母と観るには気まずいものだったからだ。どことなく、母には満足できない芝居だろうと感じた。これは私個人の問題なのだけれど、「こんな感じの作品が、あなた好きなのね」なんて思われると、何故か恥ずかしいというか、決まりの悪い感じがしたのだ。この作品が優れていないと言いたいわけではない。理由は自分でもはっきり分からないから厄介だ。もう十代としての寿命もあとわずかだが、未だに自分は大人でも子供でもないと感じている、そのせいかもしれない。

 投げつけられた宿題から、私ならどの問題を解くべきなのか。ひたすらに分からなかった。分からないし、どこか目を覆いたくなるようなストレートさに、抵抗を感じるのでいっぱいいっぱいだった気がする。前半、私は女子更衣室にいるときと同じ感覚、というか同じ抵抗感だった。

 中高生のころ、女子更衣室に入るのが私にはものすごく苦痛だった。そこでは女子たちが何故か開放的になっていた。大声で下ネタを叫ぶ。同級生のゴシップを楽しむ。嫌いな子暴露ゲームが始まったりする。バストの大きさを報告しあったかと思えば、お気に入りの下着自慢が始まる。普段人前で言うべきでないもの、隠しておくべきものを、ここぞとばかりに見せつけてくる空間だった。それが私は嫌だった。人様に見せられないものは隠し通すべきだ! はしたない! この抵抗感が、『無差別』のストレートさへの抵抗感と一緒に思えたのだ。でも、よく考えると違う気がするぞ…?

 そこで、もう一度観てみようと全キャストをシャッフルした「乱痴気公演」に足を運んだ。二度目の『無差別』は、乱痴気公演とあってか、客層が「柿喰う客ファン」としての雰囲気をまとっていた気がした。若い人に特に人気なのだろうか。制服姿の観客も多かった印象だ。全キャストシャッフルという楽しさも手伝ってか、一度心の準備ができているせいか、二度目は比較的楽しめたと思う。キャストが変わることで、響かなかった台詞が響いたり。逆にオリジナルキャストのハマり具合が分かったり。何より噛み砕くのに役立った。

 初めに感じた抵抗感。どうやら更衣室と一緒ではないらしい。普段は隠す、という点では一緒でも、ジャンルが違う。人の哀しいところや満たされないところなど、見て見ぬふりをしたい部分を、みせてくる作品なのだと思う。だから、抵抗感なのだ。きっと。

 俳優陣の演技は、観ていて楽しかった。特に七味まゆ味は、気づいてみれば赤子から少女、そして大人へと、狗子の一生分を舞台の上でみせている。まだ何も知らぬ幼子の瞳から、のみを振るう鬼気迫る動き、どこか諦めているようなのに力強い表情に魅せられた。大村わたるは、独特の個性が活かされていて、キノコの胞子さながらに客席に唾を飛ばしてきたが、まぁそれも込みで楽しめた。深谷由梨香は、美しい日不見姫神としての役とその他の役との違いが印象的。その演技の器用さに驚いた。永島敬三の真徳丸は実に魅力的だったが、舞のシーンが残念だった。美しい…のだろうか。もう少し振り付けなど考えても良かったのではと思ってしまった。また、演出家で劇作家である、中屋敷法仁の演技はどうなるのだろうと少し不安だった。何しろ以前聞いていたアフタートークで噛み倒していた印象が強かったから…。柿喰う客の演出は、声質を操ったり、正確な動きで揃えたりと、役者に求められるものも多い。しかし私などが勝手に心配するほどではなかったようだ。彼の、努めて変わり者であろうとしているかのような雰囲気が、舞台に面白く添えられていたと思う。

 舞台セットはおもしろい。中心に段々と高くなるようにポールが組まれている。板を取り囲むように置かれた灯体。それぞれ、観る人によって何かを連想させるかもしれない。(想像力の乏しい私には、ただそのものでしかなかったけれど)。舞台を正面から観ていた時は、表情を追うのに忙しかった。二度目は上手よりの席から観た。すると、役者の影が、袖側の壁に大きく伸びて映り込む。照明のカッコイイところだ。

 『無差別』に出てくる登場人物は、神も仏も獣も人も、皆どこか満たされていない。そしてその中で、狗吉・人之子・天神様は「なんて可哀想な自分!」と思っている節がある。狗吉はまさに「族谷に生まれたせいで穢れた被害者の会」代表。彼の先祖が、赤狗を殺し、その肉を食わせてきたのは、一族が、狗吉が生きるためであるというのに、被害者ヅラでお恨み申し上げてしまうから、どこか愛せない。人之子は、母に認められたい、必要とされたいとひたすらに願う。狗子は人之子を愛していたと思う。赤狗の血に触れず生きてきた狗子が、彼女を助けるために初めて赤狗の血に触れる。あのシーンは、狗子を助けて生かすという業を負う、という覚悟が示されていて印象的だった。だからこそ彼女が、愛が足りないと感じているのは切なかった。天神様は、人として思うような終わり方もできていないままに、神として始まってしまった己の運命を自嘲して生きている。

 いかに自分の命を生きて、何者として命を終えるのか。どうやらそれが大事らしい。なるほど、なるほど。私なら、人之子のように、生産的でなくても思いのままに終えたいな。でも、芝居を一本見終わったわけだけれど、結局『無差別』は何が言いたかったのか。反戦? 差別問題? 生き方? 人間と自然の共生について? もう少しヒントをくれたっていいじゃない。文句も言いたくなる。ただ、モヤモヤを観客に残す、という点でこの作品は成功していると思う。消費されない。観て、「あーすっきり、楽しかったー」で終わらせない。ただ、スルスルと場面が展開するのに、少し話が停滞しているように感じてしまった。裏切ってくる感じがなかった。加えて、俳優陣が揃えて読み上げるようなエンドロールも格好良いのに、終わり方が少し歯切れ悪い。そこだけが個人的に物足りなかった。

 結局のところ、私は『無差別』を楽しめたと思う。私の知らない戦中戦後の日本って、皆何を考えていたのだろう。時代の移り変わりは、怖かったのだろうか。そして今を生きる私は、何に従って生きていきたいのだろう。考える。それって苦しいけど楽しいこと。そんなきっかけを与えてくれたことと、学生料金チケットを用意してくれることに感謝!

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