14.私と彼女と『cocoon』 (山本愛弓)
「生きなくちゃ。」
2007年の夏、沖縄旅行をした。ちょうど沖縄のお盆の時。
当時、私は大学4年生で、就職活動中だった。
ひめゆり平和祈念資料館へ行った。
学徒隊一人ひとりの顔写真と共に、どこで生まれて、どんな家族構成で、どんな性格で、どんな死を遂げたかが書かれていた。今も忘れずにいる。
アメリカ兵に出くわした時、逃げずに「撃て。」と言って自ら進み出て殺された子。
友達と逃げながら銃弾を浴び「◯◯ちゃん待って。足がない。」と言って息絶えた子。
2007年、マームとジプシーが旗揚げされた年である。
舞台『cocoon』を見た。彼女たちが蘇ったとは思わなかった。現代の女の子たちがタイムスリップして疑似体験をしている様を見ているようだった。
「生きなくちゃ。」
叫びながら死んでいった16歳の少女。かな。
舞台の間、彼女から目が離せなかった。
かな役を演じていたのは、伊東茄那さん。畳み掛ける戦争描写に観客も体が硬直するような場面でも、体が自由だった。軽やかに歌を歌い、何でもないような顔をして手足でリズムを刻んでいた。
彼女に一度、お会いしたことがある。2013年2月。春が目前に迫った冬だった。
映画ワークショップで顔を合わせ、ひょんなことからお互いの今までを語ることになった。
16歳の時、演劇をしていた彼女は映像に興味を持った。
16歳の時、私は、恋をしていた。内定をもらった会社に入社したのは2008年。今日マチ子さんが漫画家デビューをして、『cocoon』の構想を始めた年。漫画『cocoon』が出来上がった頃、私は仕事を辞めた。
それから、今日マチ子さんは藤田貴大さんと出会い、私は勉強をはじめて、伊東茄那さんは映画を撮っていた。
2013年、4月。
伊東茄那さんは、マームとジプシーのオーディションを受け、私は教師になった。
8月。
マームとジプシーによる舞台『cocoon』が東京芸術劇場にて公演された。今日マチ子さんが原作で、藤田貴大さん作、演出、伊東茄那さんは出演し、私は追加公演分のチケットをぎりぎり取った。
「生きなくちゃ。」
『cocoon』は、生を見つめる舞台だった。「生きる」ってことなのだ。「生まれる」ってことなのだ。死の無念さや戦争の悲惨さを感じるものではなかった。
その場所に生まれて、生きた、ということ。
「もう無理、がんばれない。」
戦争の爆撃で体が吹き飛ばされることが、どれくらい痛いのか、私にはわからない。
感染症にかかって熱にうなされて、ウジ虫が湧く体がどれほど痛いのか、わからない。
「もう無理、がんばれない。」
末期がんのおじいちゃんが、食べ物を飲み込めなくなって、それでも食べなければならない痛みも、私にはわからない。
離婚して、時給800円で子どもを養うことに絶望したお母さんが、もう死にたいと命を断つ時の痛みも、わからない。
死ぬ時の痛みがどんなものなのか、いくら想像してもわからない。
ひめゆりの女学生たちのことを、疑似体験をしてみても、死の痛みまではわからない。
けれども、彼女たちが、どこで生まれて、どんな家族構成で、どんな性格で、どんな風に過ごしたのかを知る事は出来る。それは、彼女たちが確かに、「この世に生まれて、1945年に沖縄にいて、生きた。」という証。
生まれた時代や場所を選んではいない。気がついたらそこにいて、生きている。
いつ、どこで、だれと、どんなことをしたのか。
何でもないことが、生きているってことだということを、何にも考えずに生きている。
ひめゆりの女学生たちは、これから何をしたかったのだろう。
おいしいご飯を食べたり、歌を歌ったり、恋をしたり、子どもを産んだりしたかったのだろうか。
それだけだろうか。もっともっと具体的に、何かやりたいことがあっただろうか。彼女たちの夢を知りたかった。
15歳で終戦を迎えた私の祖母は、今年83歳。漢字を書けないばあちゃんは「もしも勉強が出来たら、政治家になりたかった。」と言っている。
『cocoon』で生き延びたサンは、今、どんなおばあちゃんになっているのだろうか。
沖縄旅行の最後に、平和祈念公園に行った。ちょうど沖縄のお盆の時。
氏名が書かれた無数の石碑の前で、お祈りをするおばあさんの姿があった。
そのすぐ横で、学生旅行のグループが、海をバックに記念写真を撮っていた。
あの時のおばあさんは、もしかしたらサンで、あの時の学生たちは、もしかしたら、私や、かなや、舞台を観に来た人たちだったかもしれない。
1945年も、2007年も、今に続いている。
2013年の今、私は教師をしている。
次の時代を生きる子どもたちに何が出来るか、わからない。
けれども、今生きている。ウジ虫もダンゴムシも猫も鳥も魚も、人間も、生きていることを伝えたい。
同じ場所に生まれたから、今目を合わせていて、出会ったということにこの先も変わりがなく、確かなことだと伝えたい。