マームとジプシー「cocoon」

3.画期的な方法と古典的な見方 (米川青馬)

 傑作だ、とその時は思った。

 同じセリフと行為を何度も繰り返すシャーマニックな手法は、役者たちを古代の巫女にして、弾丸が飛び交う中を逃げ惑う女学生たちの霊を降ろした。彼女たちは、確かに戦争の最中にいるかのように我を失っていた。あの緊迫感は、おそらく役者が普通に演技をして出せるものではないだろう。同じことを何度も繰り返した結果、半トランス状態に入ってはじめて得られるものだろう。これは戦争の渦中を舞台上に再現する手法として画期的で、かつ最上の部類に入るのではないだろうか。終盤の繰り返しが若干しつこく感じるなど少し荒削りな感じも受けたが、それも魅力になっていた。

 中央の砂場と周辺の板場、それに布地のカーテンだけのシンプルな舞台は整然とデザインされていた。みんなが踏みしめる砂の音は最初から最後まで心地良く観客を刺激した。舞台上をカメラで映すというメタ表現やラジコンで兵器を見立てるといった斬新なやり方が惜しげもなく盛り込まれ、原田郁子やzAkなどによってつくられたライブハウスのような音響と照明がすべてを一層引き立てていた。

 役者たちはみんな演じるのが楽しそうで、前半は女子校の雰囲気がよく醸し出され、後半との対比が利いていた。木枠やヒモを使った執拗なアクションシークエンスの繰り返しが、一種の舞踏のように見えたことも面白かった。

 全体を通して、小劇場の舞台としては珍しいほど、多くの人に受け入れられやすい完成度を持った作品だと思った。実際、噂が噂を呼び、終盤は連日キャンセル待ちで溢れ返ったらしい。僕の昔の仕事仲間は、キャンセル待ち37番の札をFacebookに上げていた。

 かなり素晴らしい舞台だった、と今も思っている。

 しかし一方で、時が経つにつれ、一つの違和感も大きくなっている。そのきっかけとなったのが、ほぼ日刊イトイ新聞に連載された「今日マチ子の稽古場日記。」のある一日だ。文字通り、マンガ『cocoon』の作者・今日マチ子の視点から舞台『cocoon』の稽古場や本番について書いたもので、8月13(火)の第15回のタイトルは「これじゃあ、ダメだ!」。一部を引用したい。

 「このままじゃだめになる。2日目のこと。これはマームとジプシー版の『cocoon』です。原作とはもちろん違う表現やテーマになっていいのですが、最も私が避けようとしていたことが起こっていると思いました。それは、『かわいそうな戦争作品』として受け取られてしまうことです。わたしたちは、戦争ものを見聞きするたび、『戦争で死んでしまった悲劇の少女達、かわいそう』と自動的に涙を流してしまいます。そういうことが嫌で、マンガ『cocoon』にいろんな仕掛けをつくったのでした」。

 この一文を読んでから、僕がうすうす感じていた違和感が、日々少しずつ立ち上がってきた。よく考えてみると、僕が個人的に「戦争」そのもの扱う時に必ず必要だと思っているものが、なかったのだ。その1点が、見過ごせない。

 「グロテスクさ」である。

 このグロテスクさには大きく2種類があって、一つは、物理的な残酷さや汚さやなまぐささである。

 グロテスクさは、ある部分には十分にあった。たとえば、手術を表現するために電動のこぎりで木を切ったところだ。あの表現はとてもリアルでなまぐさかった。それから、瓶の中の虫を映像で映した箇所も面白いと思った。(切断していたそうだが、僕は見逃していた。特に切断までする必要は感じない。)耳をうじ虫が噛み切るイメージなど、セリフの中にもグロテスクさは飛び散っていた。今日マチ子の挿絵も利いていた。

 ただ、肝心の女性たちは最後まで、全員が身ぎれいだった。このことが気になった。 別にホラー映画のようなシーンを観たいわけではないし、血糊を使えばいいなんて思ってはいない。むしろ、グロテスクさを表象するものなら、可愛くていいと思う。衣装や全体の雰囲気に合っているほうがいい。何なら、全然腸や血や死に見えなくてもいい。ただ、僕は彼女たちの「汚れなさ」に違和感を感じたのである。

 戦争表現は、直接的であるよりも、ある意味で洗練されているほうが良いと思う。 たとえば戦争画の傑作に、丸木俊・丸木位里の描いた『原爆の図』の連作がある。それは圧倒的なグロテスクの表象だが、一方で大変洗練されている。丸木夫妻は、見るに耐えないものを、不思議と目を惹きつけられる作品に昇華している。

 マンガ『cocoon』もまた、ある種洗練されたグロテスク表現に事欠かない。血が飛び散り、腸が出て、死屍累々なのだが、たとえば「ハラワタ少女」はカッコ良く、劇場でTシャツが売られているほどだった。(残念ながら、買おうとしたら嫁に止められたが。)

 もちろん、マンガと舞台は別物だ。舞台の上で、直接的でない形で血や死を表現するのはかなり難しいのだろうと想像する。ただ、藤田のような才能の持ち主なら、原作のグロテスクさを画期的に表現する工夫もできるのではないだろうかと思う。

 「グロテスクさ」のもう片方は、「人そのものの残酷さや汚さ」である。戦争は、物理的な残酷さ以上に、人間の暗部を映し出す。たとえば、『SHOAH』というナチスに関するドキュメンタリー映画がある。9時間以上、ホロコーストの関係者にひたすらインタビューする映画だ。現代のアウシュビッツの映像などは出てきても、死体などは一切出て来ない。

 しかし、『SHOAH』は相当にグロテスクだ。一つのエピソードとして、アウシュヴィッツはナチスがつくったものだが、実は周囲の住人であるポーランド人もアウシュヴィッツに好意的だったことがわかってくる。彼らもまた、ユダヤ人を嫌っていたのだ。大量殺人工場の周囲で、その内実を知りながら悠々と畑を耕すポーランド人。彼らは、ある意味でナチスと同じくらいに残酷ではないだろうか。(もちろんその中には、虐殺を苦悩するポーランド人も多数いただろうこともまた想像できるのだが。)

 このようにして、戦争は、戦争に関わる人間の残酷さや汚さを否応なく浮かび上がらせる。マンガ『cocoon』も、そのグロテスクさを避けていない。『ユリイカ』今日マチ子特集号(2013年8月号)で、斎藤環はこう書いている。サンは「聖戦の大義にノリノリなのである。そこに加害者としての自覚など微塵もない」。

 つまり、マンガ『cocoon』は、ひめゆり学徒隊の中にも、たとえ無自覚であっても「積極的な戦争参加者」がいただろうということ、彼女たちもまた残酷な一面を持ち合わせていただろうということを否定していない。それが人間だ、ということだろう。極論すれば、戦争は全員の汚さを現前させる装置なのだ。人間は弱く、戦争の渦中になれば誰もが残酷になりうる。 ひめゆりだけがキレイだというはずはないのである。そのメッセージには強く共感する。

 今日マチ子は、「『ひめゆり』ばかりに萌えすぎな」日本人を前提にして、「自らが『ひめゆり』で受けた衝撃を性急に物語化せず、”ひめゆりに感動してしまう僕たち”をも対象化して本作を描いたのだ」と斎藤は綴っているが、その通りだと思う。

 翻って、舞台『cocoon』は「今日マチ子の稽古場日記。」に書かれている通り、僕にはどちらかと言えば「かわいそうな戦争作品」に見えてしまった。そう見えたのは、おそらく役者たちの汚れなさと気持ちの高揚と頑張りへの共感が、グロテスクさに勝っていたからだ。

 正直に言って、マンガ『cocoon』で読み取れるほどの「人間のグロテスクさ」は、舞台『cocoon』には感じられなかった。そのような表現があったのかもしれないが、彼女たちの必死の演技や印象深い音楽などにかき消されてしまっていた。むしろ僕には、彼女たちはAKB48やももクロと同じような「決して汚れることがない、頑張る聖なる女性たち」として扱われているように見えた。

 人間のグロテスクさの代わりに、舞台『cocoon』では「戦争は今、ここにいる僕らと関係している」というメッセージが絶えず流されていた。「さとこ(吉田聡子)」「尾野島慎太朗」をはじめ実名で出てくる役者が多く、彼らは時々現在との関係を仄めかす。わかりやすい例を挙げれば、「尾野島慎太朗」は登場の最初に「尾野島慎太朗です」とわざわざラップ調で名乗るのである。彼らは最初から最後まで現実と物語の「二重の存在」であり、それを意識させることで、藤田は過去の戦争と現在とをつなげようとしていた。(その意味では、フィッシュマンズの曲の合唱もかなり利いていた。)

 それはそれで優れたメッセージだと思う。世界中で日々戦争は行われており、今や日々放射能が降り注ぐ日本もまた、ある意味で戦争状態かもしれない。そこには、おそらく多くのサンやマユがいる。切実な問題である。

 しかし、マンガ『cocoon』で作者が注意深く描いた、ごく普通の女の子たちの弱々しさや、ずるさや、弱いからこその武器である「想像の繭(想像力)」は、舞台『cocoon』ではいずれも後景に下がっていた。その代わりに彼女たちは「聖なる存在」となっていた。しかしそれは、ひめゆりの捉え方としては、マンガ『cocoon』と比べて古典的、叙情的ではないだろうか。その見方のままでは、過去と現在をつなげても、そのメッセージの威力は半減してしまうのではないだろうか。

 このお芝居に感情を揺さぶられない人は少なかっただろう。その方法は画期的であり、役者の頑張りも素晴らしく、 全体の完成度はとても高かった。その意味で、この舞台は伝説になるのかもしれないと思う。僕も心を動かされた。しかし一方で、戦争の見方についてドキリとすることはなかった。その点が、少し残念だ。
(2013年8月9日19:00の回観劇)

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