マームとジプシー「cocoon」

1.マームとジプシー「cocoon」 (大塚孝一)

 反戦映画、反戦舞台、好戦映画、好戦舞台、そして太平洋戦争と沖縄の悲劇、これまで数限りなくさまざまないわゆる「戦争もの」を見てきた私たちだが、この舞台はそのどのカテゴリーにも類型化できない舞台。
 強いて言えば、「戦争体験舞台」とでも表現できるかもしれない過去に類例のなさそうな稀有の舞台。最初から最後までサプライズの連続を強いられる。
 昨年、岸田國士戯曲賞を受賞した弱冠27歳の奇才藤田貴大が、その才能を縦横に発揮する。
 ひょっとすると(おそらく間違いなく)この舞台は、沖縄のひめゆり部隊を題材としているのであろうが、最後まで「沖縄」も「ひめゆり」も言葉は一切出てこない。しかし、見終わってまぎれもなくひめゆり部隊の無念が切々と観客ひとりひとりの胸を揺さぶる。
 史実では、沖縄県女子師範学校及び沖縄県立第一高等女学校、いわゆるひめゆり学徒隊の動員数240名、うち戦没者は136名。この歴史の固有名詞を消して、どこの時代でも起きる(もちろん今でも)、どこの学校でも起きる普通名詞として展開する舞台設定が秀逸で、リアリティが迫る。
 こうした舞台上の強烈なリアリティを支えるために、藤田貴大はいくつかの仕掛けを用意する。

 まず第一に、藤田自らが「リフレイン」と呼ぶ演出手法…短い同じシーンを角度を変えながら何度も不規則に繰り返す手法・・・はいかにも実験的で評価は定まらないが、女子学生たちを演じる俳優たちの奮闘でシームレスに機能し、リアリティの邪魔にはならない。
 とりわけ、角度と場所を変えながら最も執拗に「リフレイン」を繰り返す、娘と母親の会話、娘が好きな石鹸のにおいを手にしみこませるために、娘が母親に「石鹸はどこ?」とたずねるシーンは、繰り返せば繰り返すほど、石鹸を手にすり込むという何でもない日常性がいかに幸福なことであったかを、観客の心に劇的に思い知らさせる。
 すばやく移動するロープと窓枠により切り取られる場面の座標軸の変化は、このリフレインの効果とあいまって、私たちの平衡感覚を激しくゆさぶる。その酩酊感はあまり経験したことがないものであり、まぎれもなくオリジナルなものだと思われる。

 第二に、舞台の全面を覆う大量の砂が、ガマから追放された女学生たちが敵の攻撃から逃げまどいながら巻き上げる濛々たる砂塵として効果的な役割を果たす。
 そして舞台の三分の一を区切るスクリーンに映し出されるガマ内の光景等々、撮影し映写されることによって、リアリティを脱色され、虚構化されたスクリーン映像と舞台とを対照させて、舞台のリアリティをいよいよ際立たせる効果を上げ、現実と虚構の境界をあいまいにさせる。

 しかし、何と言っても最も直截にこの舞台のリアリティを保障してくれるのは、オーディションで選考されたという21人の出演者たちの熱と気迫である。
21人の出演者たちは、猛暑の中、一日二度の舞台をすさまじい砂塵を巻き起こしながら、さながら甲子園球児のごとく、舞台を駆け回り駆け回り、敵の銃弾から逃げまどい、ひとりづつ死んでいきます。
 そして、ラストはサイパンのバンザイクリフへ続く一本道を連想させる映像のフェイドアウトで、観客に限りない内省を迫ります。

 こうした21人の俳優たちによる必死の全力疾走が引き寄せる戦争のリアリティを感じることができたとき、戦争を知るためでもなく理解するためでもなく、「戦争を全身で受け止め体験するための舞台」というものがありうるのだということを観客は知ることになります。
(2013年8月15日19:00の回観劇)

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