2.マームとジプシー8月公演「cocoon」を見て (杉谷正則)
久しぶりに若手の素晴らしい作品を見させてもらった、というのが率直な想いである。
特に固有名詞は用いられていないが舞台は明らかに敗戦間際の沖縄で、主人公はひめゆり部隊の少女達である。導入部は舞台一面を覆っている砂の上に置かれた小さな戦車の拡大映像。そこからまず女学生の学校での日常が描かれる。生徒同士のたわいないお喋り、先生へのあからさまな反抗と無視、教師の無力な「ま、いいか」というつぶやき。それらは全く現代のものであり、きわめて身近な世界を実感させる。その臨場感、時代の共有感を観客に与えたまま、主人公の少女は母親とさりげない食事の話をした後、舞台の砂上を走り、ひめゆり部隊の世界へと滑り込む。
その後の「がま」の底での悲惨な診療の描写も我々の想像力を刺激するが、軍から一方的に解散が通知され、ひめゆりの少女たちが「がま」を出て砂の上を海に向かって走るシーンは衝撃的である。7~8人の女優さんたちが砂を蹴立てて疾走し、舞台を区画するロープを跳び越え、強そうな男優を支柱としてスワーブする。上方からは曳光弾を思わせる細く絞ったライトの束が降り注ぐ。音も集中砲火を思わせる不気味さで鳴り響く。何度も何度も執拗に乱舞が繰り返される。
見ているうちに、国立劇場の舞台一面に敷かれた土の上を、裸足のダンサーたちが走り、飛び跳ねていたピナバウシュの春の祭典を思い出した。あれはお祭りの生贄の踊り、生命の踊りで、ひめゆりたちの死の逃走とはもとより異なるものだが、舞台に漂う異様な臨場感、緊迫感には、同質のものを感じた。これまでひめゆり部隊については何度かミュージカルや映画になっている。
私が見たひめゆり部隊を主人公とする作品は、みな実際の戦争のシーンをリアルに描いていた。そしてそれなりに戦争の実像に肉薄していた。しかし、一見抽象化されたかに見える今回の砂の上での逃走は、どれよりも戦争の真の恐ろしさを再現していたように思う。新しい表現に挑戦して見事に成功したと言えるのではないか。
絶望的な飢えに襲われ、争ってウージを食べざるを得ない少女たち、少女を強姦する兵隊、身体を吹き飛ばされた親友の手だけを持って走っていた少女、生徒たちと一緒に逃げようとしながら最後は自ら海に飛び降りてしまった教師、劇の中では戦争を直接非難する言動は無かったように思えるが全体が戦争の悲惨さに満ち満ちていた。今回の8月15日をまたいでの上演というのは偶々そうなったのだとは思うが、見終わった後戦争についてもう一度切実に考えざるをえなくなる異様な実感、を与えてくれる傑作だと思う。
劇の中では、同じセリフや動きが位置を変えて繰り返される。最初は戸惑った。そのうち発せられたセリフが1回目より2回目のほうが強く聞こえるような気がしてきた。俳優が1回目と2回目の発声を変えているとは思わないが、2回目をより大きくはっきり発声している印象を受けるようになった。それが演出家の狙いかどうかは分からないが、普通に台詞を話す演劇に比べて、見ている時の印象のみならず、見終わった後の記憶にも強く残る斬新かつ効果的な方法ではないかと思う。映画と異なり、通常演劇は何回も見返すことは無い。今回は優れた映画を何回か繰り返して見たような気になった。
舞台の作り方は芸術劇場小ホールの自由な空間を生かし、長方形を客席に向けて突出し、観客は舞台を囲むように、間近から見るようになっている。舞台上には砂が敷き詰めてあり、俳優が激しい動きをすると砂が観客の身体上にも舞い落ちる。まるで生のシーンを少し離れた所から見ているような臨場感を受けた。現在では特に珍しくはないが、劇の内容に即した効果的な作り方だと思う。また舞台後方にスクリーンを吊り、スクリーン裏で演技し、それをスクリーンに映しだす手法を採っていた。多分スクリーンによって舞台を二つの世界に分け、同時並行的に進めることで世界の多様性を出したかったのかと思う。ただ、これについては私の席が舞台の横でかなり端に近い場所だったため、スクリーンの後ろの方がよく見えてしまい、あまり効果を実感できなかった。小さなことだがスクリーン裏の横にも簡単な幕があれば、と感じた。
俳優さんたちも素晴らしかった。オーディションへの応募者から選んだということだが、広いとは言えない舞台の上を早く正確に生き生きと行動する技量は称賛に値すると思う。台詞も、演出家の指示なのだろうが凭れる寸前の速度でゆったり流す、という多分難しい話し方を自分のものにして揺るぎがなかった。オーディションで集める、という方法を知らなかったら、練達の劇団員たちが揃っているという感じを受けたと思う(プログラムを読むと、少なくとも長い台詞をしゃべる主演の青柳さんだけは最初から決まっていた)。応募者の方々がいわゆる素人さんかそれともどこかの劇団等に所属しているのかは判らないが、日本では機会を得てはいない多くの若い役者さんが出番を待っているようだ。
冒頭にも記したが、劇中で沖縄とかひめゆりといった固有名詞を使っていないのは大変効果的で、砂上の逃走=虐殺のシーンを見ていると、ふっと他の情景とダブってくる。暑い東京で見ていたので同年3月の東京大空襲を思い浮かべたが、東北で見たら空襲が津波と重なるかもしれないし、ヴェトナムやイラクでみたら米軍の空襲が頭に浮かんでくるかもしれない。それも舞台が力のあるイメージ喚起力に富んだものだからだろう。
最後にcocoonという題名だが、見る前は「あれっ、シアターコクーンでやるのかな、これじゃ内容が推測できない変な題名だな」と思った。劇中で、繭につつまれるという台詞があり、その意味でcocoonを題名としたのかと一応了解したが、それなら「繭」でよくあえて英語表記にする必要もない。そのうち何回か女学生たちが斉唱で「せーの」という声を掛けるのに気が付いた。爽やかで官能的な掛け声だった。その声を聴いているうちに、あえて捻って英語を使ったのは、「せーの」の掛け声で自分たちを覆っている繭を破り物事をもう一度真剣に見てみよう、という呼びかけをしたかったのではないかと思うようになった。曲解かもしれないが、我々の周りは幾重にも柔らかい繭で蔽われている、それを何とか突き破りたい、というのは同時に私個人の想いでもある。
今の若い人たちは、学校で現代史を教えられていないといわれている。戦争の生の姿の露出も大幅に減っている。若い人たちに是非見てもらいたい傑作だと思う。
(2013年8月15日19:00の回観劇)