マームとジプシー「cocoon」

5.戦争、この「未知」なるものの肌触り (仲野マリ)

 8月15日は終戦記念日である。1945年のその日正午、太平洋戦争を終結するとの天皇の宣言、いわゆる「玉音放送」が流されてから、68年が過ぎた。実際に戦争状態にあった日本を生きたことのある人は、当時赤ん坊であった人も含め、非常に少なくなってしまった。ましてや、しっかりと自我の確立した十代以降で戦争時代を生き抜いた人となれば、昭和一桁世代か大正生まれ。なおさらである。

 私はそうした「昭和一桁世代」を親に持つ。自分自身は「もはや戦後ではない」と言われた昭和30年代の生まれであり、「戦争を知らない子どもたち」という歌が流行って、それは自分たちのことだという自覚を持ってもいた。けれど、周りには戦争の記憶は色濃く残り、戦争と自分たちは地続きであることは、疑いのない事実として身体にしみついた世代でもある。

こうした「昭和」の人間にとって、戦争を扱ったフィクションを観るとき、それが映画であってもドラマであっても舞台であっても、「本当らしさ」はゆるがせにできない問題だ。「あんな長髪の男はいない」「あんな言葉づかいをしたら殴られた」「あんな敬礼の仕方はない」「あんなものは食べられなかった」「あんな服は着られなかった」などなど、描写の中で生活感がないがしろにされると、たちまち感情移入できなくなり、作品が伝えようとする核心がどんなに立派でも、うそっぽく見えてしまう。

 それは昭和の人間にとって、戦争が「過去」のことであり、「過去」は記憶であり、記憶は「写実的描写」としてのリアリティを要求するからではないか、と最近思うようになった。空襲にしても前線での戦闘にしても敗走も焼け野原も銃後の生活も、「そうそう、そうだった」と記憶を共有してこそ安心して「お話」を聞くことができる。だから、みな些細な生活道具や身なりや言葉づかいに敏感なのだ。

 しかし、平成生まれの人々は違う。彼らにとって「太平洋戦争」は、もはや「地続き」の記憶ではない。そのちょっと前に生まれた人々も含め、今の若い人は「現人神(あらひとがみ)」から「人間」そして「象徴」にと変容しながら天皇であり続けた昭和天皇を、同時代的に知ることのなかった世代である。

 マームとジプシーの「cocoon」を観たとき、私は、この作品は「昭和」の人間には決して創れないと思った。いわゆる昭和の人間にとって「ひめゆり」「ひめゆり学徒隊」「ひめゆりの塔」はある一定の形を持っている。すべての人間が史実を知っているわけではないのだが、「ひめゆり」といえば「少女」「純真」「使命」「悲惨」「戦争」「沖縄」「自決」であって、それから抜け出すことは非常に困難である。映画「ひめゆりの塔」に代表される、かつての「ひめゆりもの」は、創作された当初はできるだけ「写実的」であったことが力を持っていた。しかしあまりに強烈なインパクトを持ち、「一つの形」で語られるようになってしまったがために、事実云々は二の次で、次第に「乙女の悲劇」「沖縄の悲劇」という類型に陥り、「地続き」の自分たちの物語であるはずが、いつのまにか他人事の、いわば昔話になりさがってしまった感があった。

 ところが「cocoon」はそうした昭和の類型をものの見事に飛び越えて、まったく違う地平から「ひめゆり」を掘り起し、事実を丹念に紐解いて21世紀につまびらかにした。なぜそれができたのか。彼らにとって戦争は、「過去」ではなく「未知」のものだったから。「過去」でないから写実的な記憶にこだわる必要性がない。歴史的なこともSFも、「経験したことがないもの」としては同等に扱える。

 「未知なるもの」である戦争を、自分たちの物語にするために、マームとジプシーは等身大の、21世紀の、日本の10代の女の子たちを、今の感覚のまま「ひめゆり」の空間に押しこめた。

 現代を生きる私たちが、あの時代を、生きたとしたら?

 その「肌触り」こそが、リアリティになる。写実的であることではなく、等身大であることで、戦争の真実を描こうとしたのが「cocoon」である。

夢なのか、現実なのか、今なのか、過去なのか。そんなことを確定せずに、物語は始まる。 白い砂をしきつめた舞台。出てくる少女たちは皆、シンプルな白いワンピースを着ている。寄せては返す波音だけの、静かな冒頭が一転、少女たちのさんざめく笑いが聞こえてくる。どうやら、女学校らしい。遊びや喧噪やいさかいやいじめなど、どこにでもありそうな、ありふれた日常の一コマ一コマが、くどいほどのセリフやしぐさの繰り返しと、無機質な身体表現によって描かれる。

前半は、このような彼女たちのエピソードの積み重ねが続く。それらは、一見どうでもよさそうに見えるし、退屈でもあるが、物語が進むにつれ、平凡に生きられるということがどんなに幸せなことなのかを、観客は彼女たちとともに「肌で」感じていくことになる。

 中盤で、沖縄の「ガマ」の中での生活を描写するところは、まっくらの洞窟の中を懐中電灯一つが照らす世界を、そのままスクリーンに映し出した。ひところ一世を風靡したホラー映画「ブレア・ウィッチ・プロジェクト」がハンディカメラ1つによって作ったような恐怖と臨場感を、この手法は生み出したと思う。すでに観客は、少女たちと同じく、「知らないうちに戦争に巻き込まれて」しまっていた。

 イデオロギーでもなく、反戦でもなく、ましてや好戦でもなく、ただ「巻き込まれてしまう」戦争の恐怖。そこで失う家族、友、人間らしさ、自分らしさ。わしづかみにされた戦争の「肌触り」が、そこにあった。

 一番印象的だったのは、主人公の少女サンが死ぬまいと思った、その理由である。ガマを出たサンは、凌辱されてしまった。ガマの中では味方だと思っていた男だ。懸命に傷の手当をしてあげた日本兵の1人だった。理不尽に純潔を失った女性は絶望し、ときに生きる気力を失う。しかし、サンは違った。

ガマを追い出され、砲火の中を逃げ惑う少女たち。海へ海へと追い詰められながら多くの少女たちが「きれいなままで自決しよう」とする。しかし、サンは死なない。
「自分はもう純潔ではないから」
サンも純潔を守りたかっただろう。でも奪われた。もはやきれいなままで死ぬことが不可能になったとき、彼女は逆に、生きることを選択したのだ。

 生き抜くとは、常識からはみ出ることである。世界が壊れてしまったのだから、常識とともに生きようとすれば、常識とともに死なねばならない。玉音放送を聞いて、宮城(皇居)前の広場で自決した人や、戦後、ヤミ米は法律で禁じられているからとヤミ米を食べずに死んだといわれる検事の逸話などは、「きれいなままで」と考えた少女たち同様、常識とともに生きようとした人々の決断と言えるだろう。

 でも、常識を捨てて生きようとしても、被弾して生き残れなかった人々はいくらでもいる。「ひめゆり」の少女たちも、多くは逃げて、逃げて、でも逃げおおせることができず、次々と倒れていった。ただ一人生き残った少女は、夢の中で楽しかった学生時代を思い出す。逃げ惑った悪夢の日々も、思い出す。死んでいった人々の無念を背負って生きていく。死んだ者も、生き残った者も、その一人ひとりの「幸せに生きたかった」という思いを、マームとジプシーは丹念に拾って描いた。

 バーチャルという言葉が定着してずいぶん経つ。アニメやゲームやネットなどバーチャルな世界におぼれ、「今の若い者は本当の人間関係を結べない、生きるということを肌で感じようとしない」と思っている「昭和」な人間は多い。しかし、バーチャルに甘んじていたのは私たちではなかったか。うわすべりなイデオロギーや類型的な写実作品にはない力強さを持った作品を、若い世代が生み出していることに、私は敬意と希望を感じた。
(2013年8月7日19:00の回観劇)

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